冷たい雨がまだ降り続けている。雨雲は空を覆い尽くし、消える気配すらない。ロリッシェは詩を歌うのを止め、狂った国王を見つめる。綺麗な白髪は雨に濡れ、べっとりと身体に張り付く。しかし彼女の視線は動かなかった。寧ろ歓喜に震えているような笑みを顔に広げている。異様な光景。この狂気で満ちた空間の空気を吸って可笑しくなってしまったかと思うほど不自然な名前をさも当たり前のように口にした。
 ――そもそもライルとは一体誰の事なのだ。
 怪訝そうにレオンは見つめるが、ロリッシェは何も言わない。国王の名前は勿論ライルと言う名前ではなかった。では一体誰の事を言っているのだ。そう思い視線を動かそうとした時だった。ふいに壊れたような笑い声が辺りに響くのが分かった。それはラジカセのように奇妙な音を奏で、響かせる。
 独特な笑い声は酷く聞く者を不愉快にさせる笑い声だった。その笑い声を特定しようと振り返った時、まず国王の身体から鮮血が噴き出した。一瞬何が起こったのか分からないでいるレオンの瞳に映ったのは一人の男だった。三十代を過ぎた中年の男は赤く染まった剣を振り払うと崩れ落ちるように倒れる国王の横を通り抜けた。あまりにも国王の死は呆気なかった。あれほどの人々を虐殺し、恨まれていた国王は誰かも分からぬ男の刃によって死んだのだから。
 別に恨みがあって斬ったというよりは自分の道の妨げになるという理由だけで斬りつけたようにも見えた。
 しかもこの男は最近妙に国王と密談をしている事が多かった男ではないか。少し怪しいとは感じていたが、まさか――国王を平然と斬り殺すなどあっていいわけないのだ。しかし、この場で正常な判断を出来るものがいるのかと言われれば、わからなくなる。
 兵士達も狂ったように異端者狩りを続けていた。一体何が起きているのだとレオンは呆然と雨に打たれながら考えていた。
「五百年、五百年だ……」
 それはまるで独り言のように呟かれた声音。
「私は五百年間お前を殺すことだけを考えて生きてきた。確かにあの時、殺したはずなのに何故かお前は不老不死のように何度でも甦り、その存在こそ見せなかったが表世界に幾度と無く現れた。そして、今……お前は私の目の前に居る」
 オッドアイの瞳に狂気が宿る。それは普段見知っているロリッシェとは程遠い存在になっていた。その姿を見たエカテリーナは瞳を閉じる。ロリッシェを止めるつもりは無いようだった。
「忌まわしき呪われし魔女が……此処まで私を追い詰めるとはやるようになったな」
 クツクツと響く低い声音。雨に打たれ、こけた頬が浮き彫りになりギョロリとした眼窩がロリッシェを見つめる。その瞳はまるで因縁めいたものを感じさせるほど冷たい光りを宿していた。
「闇魔術にその身を捧げて五百年―――しかし、私よりもお前の方が魔術の才能に優れていたようだな。見ろ、自分の姿を。何度転生してもその忌々しい魔女の姿から逃れられやしない。お前はあの時から何一つ変わっていないように見えるぞ」
「変わらぬ人間などいないさ。ただ、私とお前は例外なだけだ」
 降り続ける雨を払い除けるように長い髪の毛を後ろへ流した。まるで忌々しい過去に、全ての決着をつけるかのようにロリッシェは目の前の男に向けて叫んだ。普段冷静さの欠片も感じさせないほど激情を含んだ声で。
「死ね、亡霊が!!」
 その場に落ちていた剣を拾うと細い腕に似合わぬ動作で振り上げた。男は皮肉めいた笑みを浮かべたまま動こうともしない。寧ろロリッシェの行動その物を莫迦にしているようでもあった。サラリと振り下ろされた剣を避けると笑う。どこか呆れを含んだ笑いだった。
「そんな事をしても無意味だとお前自信が一番知っているはずだろう?そんなことでは私の魂までは殺せはしない」
「どうかな?」
 そのまま剣を横になぎるが掠りもしなかった。しかし、ロリッシェの瞳は真剣だ。口元に笑みを広げたままオッドアイの瞳は挑発するように男を見上げる。
「私がこの五百年間何の策も考えずにのうのうと生きていたと思っているのか?残念だったな。これがその結果だ」
 その瞬間、急に機敏な動きに変わったロリッシェは剣を無防備な身体に突き刺した。剣をまともに振るえないように見せかけていたのだろうか?あまりにも軽々しい動作に一瞬何が起こったのかレオンには理解出来なかった。しかし、かはっと男が血を吐いたのを確認したエカテリーナは青い瞳を空に向けながら呟いた。
「終わったわね……」
 いつの間にか、空は晴れていた。

長きに渡る戦いに終止符が打たれた


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