レオンが魔女の森に駆け付けたとき、その場は地獄絵図と化していた。紅色に燃えさかる魔女の森――そしてそこから逃げ出してきた異端者と呼ばれる人々を狂ったように斬り殺す無慈悲な兵士達。こんな酷い光景を戦争でも見たことがなかった。相手は異端者とは言え武器すら持っていない人間だ。無力な人間を相手に容赦無く斬り殺していく兵士達は最早人にあらず。レオンの目から見ても化け物としか言いようがなかった。
その光景にレオンは叫ぶように声を張り上げた。
「これ以上人を殺すな!殺す必要なんて無いんだ!これは虐殺だぞ!!」
分かっているのか。そう叫ぶ声すらも立ち上る断末魔の前に掻き消される。辺りは異様な空気に包まれていた。狂気の渦に巻かれた兵士達は自分達が行っている行為を虐殺とは思っていないのか、何の躊躇いもなく斬り殺していく。その中心で国王も一緒になって異端者狩りをやっているのに気づいたレオンはついに怒りを爆発させた。
「貴方は一体何をしているんだ!!」
咄嗟に胸元を掴みかかるとレオンは真っ赤に染まった剣を持っている国王を軽蔑するような視線を浴びせた。これが本来国民を守らなければならない者のする行動だろうか。信じられなくて、信じたくなくて、胸元を揺すりながら訴える。
「一体何のつもりですかこれは!?虐殺など許されるわけがない!!一体何を考えているんですか父上」
しかし、国王にはレオンの必死な叫び声など聞こえないのか、辺りに視線を巡らせながらぶつぶつ呟いた。
「殺さなければ殺さなければ殺さなければならぬ。アイツは危ない。彼奴らは危ない。異端者は殺さねばならない」
もはや正気とは思えぬ言葉が並べられ、ゾッとする。それでも王子という使命感からか、レオンは必死でふらふらと何処かへ行こうとする国王を止めようとした。すると、ふいに国王は顔を歪めると吐き出すように息を漏らし、レオンを鬱陶しい者を見るように睨め付けた。
「お前も煩い奴だ」
そういうか否か手に持っていた剣が滑るように自分目掛けて下ろされた。咄嗟に腰に差してあった剣を引き抜き押さえる。後少し反応するのが遅かったら間違いなく斬り殺されていただろう。呆然としながら見つめるレオンに国王はぶつぶつと呟く。
「お前といいルーベンツといい、お前らは儂の邪魔ばかりする。ああ、そうだ。儂の息子だというのに誰も儂の考えなど解ろうとしない……」
そう言いながら横になぎ払われ、レオンは唸った。油断していたとは言え、構える暇もなく太刀筋を浴びたのだ。その衝撃は結構身体に響いていた。ふらつくレオンに国王は皮肉めいた笑みを浮かべた。
「邪魔はさせない。そうだ、邪魔は誰にも……」
そのままレオンを切り捨てようと剣を構えた時だった。
「相変わらずウザイ国王ですわね」
そう憎々しげに吐き出された言葉に国王はチラリと視線を向けた後、固まった。その瞳は徐々に見開かれ、顔からは血の気が失われる。その視線を辿るようにレオンも振り返るとそこには黒いマントを身に纏った女性が一人立っていた。いいや、魔女と呼ぶに相応しい振る舞いをした女性。
しかし、前は顔を隠していたマントを今日は被っていなかった。風に靡かれる真紅の長い髪の毛。青い瞳が冷たい色を宿していた。真っ赤に染まった唇から棘を含んだ言葉がポロポロとこぼれ落ちる。その身に纏った優雅さだけは失われていなかった。
「エカテリーナ・ルクセンブルク……」
レオンは息を吐き出すと共にその名前を小さく呟いた。そうだ。彼女はルクセンブルク伯爵家の令嬢だ。そのルックスと天使のような美しい微笑みで一体今まで何人の男達を誑かしてきたのか分からない魔性の女とも言われるエカテリーナ。だが、彼女はその仮面すらも剥がし、本当の姿に戻っていた。いいや、裏の姿を見せていると言ってもいいだろう。
先程の動揺も収まったのか、取り乱すことなく静かに笑っている。
ゾッとするほど恐ろしいその姿に心臓を鷲掴みされるような感覚に陥った。自分にその視線が向けられているわけではないのに、何故か底知れない恐怖を覚える。
「本当に、あの時殺しておくべきでしたわ……こんな事になるのであれば」
あの時――そう示唆されたのは多分、白き魔女と共に城へ訪れたときのことを言っているのだろう。しかしあの時点ではまだ国王は正常だったし、普通の判断が出来ていたはずだ。併し、黒き魔女から脅しの手紙が来て……じゃあ、もしかして……目の前のエカテリーナが国王にあんな物騒な手紙を送りつけていたのだろうか。と驚いたように見つめる。しかし、目の前の魔女はそんな事を億尾にも出さずに告げた。
「まあ、リオーフェは助かったみたいですから良いですけど」
でなければ殺していたところでしたわ。と恐ろしいことをサラリと言い切るエカテリーナに純粋な恐怖すら覚える。彼女は何処までも本気だ。リオーフェにもしもの事があったら目の前にいる国王を血祭りにすることは間違いなかった。
「それよりも本当にリオーフェは無事なんでしょうね……」
「嗚呼、大丈夫だ。ドラゴンは約束を違えない」
場違いなほど冷静な声音が響き渡る。何事にも動じない、揺るがない静かな声音。オッドアイの静かな瞳が此方を見つめる。いいや、見透かすような視線は何処か居心地の悪さを感じさせた。白い巻き毛が風に揺れ動く。ロリッシェは瞳を細めると、静かに声を発した。
「……こうやって対面するのは実に久しぶりだとは思わないか?」
「……」
誰に向けて告げられた言葉なのかよく分からない。しかし、ロリッシェは気にした素振りも見せずに話を進める。しかしロリッシェの瞳は明らかに国王へ向けられていた。
「しかし周りがあまりにも煩くてまともに話すら出来やしない。少し、静かにしてもらおうか」
そういうと詩を歌い始める。歌声は辺りに侵食し、世界を揺るがす。それは天候さえも左右させるほどの力が込められていた。急激に雲行きが怪しくなったかと思うと、急に雨がぽつり、ぽつりと降り出す。それは明らかに自然の摂理を越えた出来事だった。雷と共に激しく降り出す雨にも関わらずロリッシェと国王は見つめ合ったまま動かない。動こうとしない。
そして、ロリッシェは嫣然と微笑んだまま死の宣告をするかのように告げた。
「こうやって対峙する瞬間を五百年も前から私は待ち望んでいたんだ。ライル」
そしてロリッシェはまるで最大の宿敵を見つけたように笑みを引っ込めたのであった。
さあ、始めよう。終焉の序曲を
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