剥き出しの岩肌は綺麗に加工され、触っても岩だと判断しにくい。薄明かりの中、リオーフェは瞳を細める。真紅のカーテンが視界を遮るように天井から垂れ下がっている。長年誰も入ったことが無かった部屋には埃が舞い、辺りに散らばる。少し咳き込みながらランプを揺らす。シルクのカーテンを横へずらすと其処にはたくさんの玩具で埋め尽くされていた。まるで玩具だけを置く為に存在するような部屋のようにも思える。奥の方にはレースがあしらわれた可愛らしい小さなベッドまで置いてあった。昔、こんな場所で誰か住んでいたのだろうか?怪訝そうにベッドに視線を落としていると、可愛らしいベッドとは似合わない足枷がベッドの片足についている事に気づいた。鎖は長く、この部屋の中なら自由に動き回れるように調節されていた。
 嫌な予感にリオーフェは視線をベッドから逸らす。此処で、昔誰か閉じ込められていたのだろうか。でなければこんな足枷など……必要なわけがなかった。何か、手掛りがないかと視線を彷徨わせる。ふいにアメジストの瞳が何かを捉えた。
「これって、シャルウェイとが持っていた……」
 角の方へ追いやられるように置かれた絵画と黒革の一冊の日記。ぱらりと捲るとそこにはシャルウェイトの端整な文字で綴られた日記だった。他愛のない話しから国に関する重要な話まで載せられている。ぱらぱらと捲った後、ふいに手を止める。妙に字が乱雑に書かれている文章があったからだ。その日の日記は短く、一言だけ書いてあった。
『過ちを、犯してしまった』と。
 それがどういう意味なのかリオーフェは分からない。しかし、彼自身想像もしなかった過ちを犯してしまったのだろう。そこで日記は終わっていた。いいや、強制的に終わらされていた。後のページが全て破り捨てられていたのだ。
 日記から視線を上げると、後ろで控えていたクロエルが絵画を手に取ったのが分かる。何が描かれているのだろうかと顔を上げるとクロエルが息を呑むのが分かった。その視線を辿るように絵画に視線を落とす。この部屋を描いたのか然程代わらぬ光景の中、花束を抱えながら此方を見つめている少女が居た。
 まるで御伽噺に出てくるような長ったらしい髪の毛は一度も鋏を入れたことがないのか床に着くほど長い。丁寧に梳かされているのか、艶やかな銀色の髪の毛は毛玉一つなかった。
 パッチリと開いた瞳は闇のように深い色合いを見せる。まるで感情と言う感情がごっそりと抜け落ちた表情。白いフリルがついたワンピースを身に纏った少女は細く、病弱なイメージを感じさせる。まるで一度も日の光りを浴びた事がないような青白い肌は薄暗い明かりの下でより一層少女自身を貧弱に見せた。
 まるでサファイアとエメラルドをはめ込んだような綺麗な双眼が恐ろしいほど、冷めた印象を与えた。視線を下に落とせば少女の細い足には先ほどの錆びた足枷がついている。この少女が此処で監禁され生きていたのは間違い無いようだった。
 だが、この少女は――
 喉が、カラカラに渇いて声がでない。息を呑む音すらひゅっと風が鳴るような音に鳴ってしまう。クロエルも驚きを隠せないのか顔を歪めながら悲痛の色を浮かべる。そう、これが普通の人間が示す態度だ。こんな小さな少女をこんな場所に監禁するなんて信じられない。いいや、あってはならぬことなのだ。人間のする事じゃない。
 二人の頭の中にその事だけが過ぎった。しかし、現にこの部屋は存在するし、嘗てこの部屋の主であった少女も絵の中から此方を見つめている。シャルウェイトが書いたのか裏側の方に小さくサインがしてあった。つまり、彼はこの少女が此処に監禁されていたのを知っていたという事になる。
 何故、助けようと彼はしなかったのだろう。とリオーフェは考えた。彼が知っていたのなら助けている筈なのに……何故?と疑問が浮かんでは消える。彼は助けなかったのではない。助けられなかったのだ。彼女は既に、闇の深み。混沌へとすでにその身を沈めていたから。
『僕の罪、それは……彼女自身に一度でも人を殺めさせてしまった事だ』
 静寂の中、玲瓏な声が響く。驚いたように振り替えるリオーフェとクロエルの前に現れたのは半透明の人間だった。半透明になってもその綺麗な白い髪の毛は圧倒的な存在感を感じさせるし、リオーフェの視線を嫌でも釘付けにする。
 ふいに悲しげな笑みを浮かべるとリオーフェに向き直る。悲しみに染まったその表情は彼がこの世にまだ存在し続けなければならない理由の一つなのだろう。
「まだ、君の質問に答えてなかったね。さあ、一つだけ質問してみるといい。これから君には沢山迷惑をかける事になるから……」
 せめてもの罪滅ぼしに。と呟かれた言葉に嫌な物を感じながらリオーフェは腕の中にある日記を強く握り締める。許す事も必要だと彼は先ほど言った。だが、それはもしかしたら、自分にではなく……本当はこの絵の中の少女に向かって言いたかったのかもしれない。でも、彼はそれを伝える術がない。これから先もこの城に永遠に縛り付けられるのだろう。悲しい思い出と共に。
「……私からの質問は只一つです」
 アメジストの瞳がゆっくりと細められ、ランプの光りを薄く反射する。決意に強張った表情は普段以上に表情を感じさせなかった。
「この絵の中の少女は一体、何を企んでいるのですか?」
 絵の中に絵がかれている少女の口元に微かな笑みが広がったような気がした。

地下に閉じこめられたパンドラの箱


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