「……」
つ、とロリッシェは顔を上げるとオッドアイの瞳を細めた。今、何かに呼ばれたような気がしたのだが、気のせいだったのだろうか。暫しぼんやりと何もない宙を見つめていたが、考えても無駄だと悟ったのか飲みかけていた紅茶に手を伸ばした。ティーカップを手に取るとたっぷり注がれた茶色の水面が大きく揺れる。揺れる水面の向こうには歪んだ自分の顔が映っていた。
まただ。とロリッシェは思う。瞳を細め、雪が降り始めそうな景色に視線を向けた。長い白髪が風に弄ばれるように揺れ動く。暖炉の炎が燃えるこの部屋は何処か暖かかっただが、妙な静けさが漂っていた。
まるで嵐の前の静けさのようだと一人思う。
ふいに慌しい物音と共に微かな口論の声が聞こえる。一つは執事の声のもの、そしてもう一つは――
ノックの音すら響く事なく部屋のドアが開かれた。そこには申し分けなさそうに頭を下げる執事と氷のような冷たいアイスブルーの瞳を怒りに滲ませている男の姿があった。彼が怒っている理由など自分には心当たりがありすぎてどの事で此処まで怒っているのか判断出来ない。だが、この怒りようからすると、彼はもしかして……そこでロリッシェは深い笑みを刻むと執事に下がるように命令を出す。
無論、目の前の男は不機嫌そうな雰囲気を隠す事なく部屋の中に一歩踏み入れた。柳眉はつり上げられ、額には深く皺が刻み込まれている。
乱暴に革張りのソファーに座りこんだ男にロリッシェはあくまで紅茶を揺らしながらドアが閉まるのを確認した後、ゆったりと唇を開いた。
「さて、今日は何の用かな?レオン王子殿」
睨み付けてくる王子を目の前にしながら大胆にそうロリッシェは呟いたのであった。
ごつごつとした岩場に手を当てながらリオーフェは唸っていた。多分この壁に描かれた紋章にヒントが隠されているのだろう。紋章の一部を押して見たりしたがビクともしないところを見ると、どうやら隠し扉がそこにあるわけでは無さそうだ。ではシャルウェイトは何処に行ったと言うのだろうか。
再び浮上してくる疑問にリオーフェは頭を抱えるばかりだった。本当に、意味の分からないところだ。シャルウェイトは力を貸してくれそうで貸してくれないし、そもそも彼は助ける気などあるのだろうか?ランプを近づけながら紋章を食い入るように見つめる。
一見何処にでもありそうなありふれた紋章だというのに、何故こんなに大変な目にあっているのだろうか。
だが、見つけなければなら無いという葛藤が心の中で渦巻いている。小さく溜息を零した時だった。ふいにクロエルは思いついたようにこちらを見た。
「そのランプの明かりを消されて見たらいかがでしょうか?」
「ランプの、明かりを?」
怪訝そうにクロエルを見つめるリオーフェ。あくまでクロエルは冷静な態度で答えた。
「確かこの中に入って行かれたシャルウェイト様は明かりを持っていませんでした。と言うことは暗闇の中でも見つけられる目印があるのではないのでしょうか。普通ならこのような暗い場所で明かりを灯さないのは自殺行為にも等しいですから」
それもそうかと思いリオーフェはランプの明かりを消した。暗闇の中、やはり何も見えないように思えたが、実際目がなれてくると明るい中では見つけられなかった文字が壁にぼんやりと浮かんでいるのが分かった。
「これって――」
闇の中、蛍光塗料が反射する。通りで見つからないわけだ。とリオーフェは苦笑しながら紋章が刻まれた反対側の岩場を手探りで探しだす。ふいに別のルートが出来た事にリオーフェは気づいた。更に下がるように階段が設置されている。
再びランプに明かりを灯したリオーフェは急な階段を眺めながらクロエルを率いて再び歩き出す。狭い通路の中では二人の息遣いが伝わってくるようだった。ふいに何故ランプを消すと言う発想が出てきたのか不思議に思えた。
「どうしてクロエルは分かったの?そこの壁に蛍光塗料が付いているって」
「違和感があったからです」
「違和感?」
怪訝そうな表情を浮かべながら首を傾げるリオーフェにクロエルは頷きながら階段を降りる。足元が更に滑りやすくなっているので気を付けてくださいね。と言いながらクロエルは壁に手を宛がった。
「そもそもあの紋章も一度蛍光塗料で描かれたものですが、その上から違う塗料で描かれていました。多分、そうしないと本人たちでさえ見逃してしまいそうなほど此処は入り組んでいますから……」
なるほど。とリオーフェは納得しながら先を進む。確かに一本道とはいえ、急だし何より迷子になりそうだとリオーフェは思った。今は一本道だが、途中から枝分かれしている道が何本も存在しているのだから。そもそも此処は逃げ道として作られたものだが、敵が入ってきた時のことも考えられて作られているのだ。つまり、この逃げ道を知らない者は此処で永遠に迷子になる可能性があるという事になる。
ふいに壁に扉があるのに気づいたリオーフェは立ち止まった。鉄で出来た扉は酷く冷たいイメージを与えたが、そんなのを気にしているほどリオーフェは余裕が無かった。直ぐに扉を開け放つとそこは小さな部屋が広がっていた。
長いトンネルから見える希望の光
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