クロエルが怪我を負ってこの家にやってきてから既に一週間が過ぎ去ろうとしていた。今は気候が安定しているのか相変わらず冬に入る前のような気候が辺り一体を支配している。雪もその姿を残さずどこかへ消えてしまった。クロエルの傷の具合も順調に治りつつあった。時々痛みが走るようだがそれ以外は普通に過ごしている。今日も暖炉に使う薪を集めるため二人は魔女の森の中を散策していた。
 時折吹きつける風が冷たく、リオーフェはボロボロになっている白いマフラーに顔を埋める。白い頬は寒さの為か微かに赤くなっていた。その姿に心配そうにクロエルが覗きこんでくる。普段一人で集めている薪集めもクロエルが手伝ってくれるお陰で普段の半分の時間も掛けずに終わらせる事が出来た。
 まるで昔に戻ったようだ。と薪集めをするクロエルの姿を眺めながらリオーフェはふとそんな事を思った。昔もよく二人で嗚呼いう風に遊んでもらったものだと。何時も側に居たのに、何時でも自分を守ってくれたのに、その存在が今では大きな壁に憚られて酷く遠い存在のように思えた。
 ふいに此方を見ているリオーフェに気づいたのだろう。薪集めをしていたクロエルは直ぐにリオーフェの側にやってくると不思議そうに此方を見返す。その瞳が酷く優しくてリオーフェは困惑しながら見つめた。彼は何も変わらない。でも、私はあまりにも変わり過ぎてしまったと。
「リオーフェ様。どうしました?」
「様はいらないわ。クロエル」
「すみません。どうしても敬語で喋る癖が抜けないようで……」
 困ったように頭を掻きながら苦笑するクロエルを尻目にリオーフェは「寒くなったから帰りましょう」と歌うように滑らかな声を出した。踵を返し歩き出すその後ろを数歩離れながら後を追いかける。その態度にリオーフェはあからさまな溜息を零すとアメジストの瞳を細めた。
「クロエル」
「……なんでしょうか?」
 あくまで何故名前を呼ばれたのか分からないクロエルは怪訝そうに此方を見つめ返す。その姿にリオーフェは再び心の中で溜息をついた。
「もう私は貴方の主では無いのだからそんな従者のように数歩離れて歩かなくても大丈夫なのよ?隣を歩いて貰わないと何だか微妙だわ」
「ですが……」
「ですがとかしかしは聞きたくないわ。私の家で暮らしている間は私の家のルールに従って貰います」
 凛とした声音にクロエルは一瞬驚いたように瞳を見開いたが、直ぐにその表情は苦笑に変わった。そして申し分けなさそうに隣に並ぶと控えめな声で申出た。
「わかりました。ですがやはりリオーフェ様と呼ぶことだけは直せそうにないのでそれだけは許してください」
「……」
 その言葉にリオーフェは仕方が無いと言わんばかりに瞳を閉じると歩き出す。今度は数歩離れた後を着いてくるわけではなく、しっかりクロエルも隣を歩いてくれた。

 薪を集め終わった帰り道、ふいにリオーフェは頬に当たった冷たい感触に空を見上げた。灰色に曇った空から天使の羽根が舞い落ちるように降りそそいでくる。その綺麗な光景に瞳を細めた。薪を片手で纏めると空いた手を空に伸ばす。舞い落ちていきた雪が掌に掴んだと同時に溶けてなくなってしまった。
 その様子にリオーフェは瞳を細める。手の中には何も残っていない。無言で掌を眺めているリオーフェにふいにクロエルが懐かしそうに瞳を細め笑ったのが分かった。その笑い声にリオーフェは怪訝そうに見つめ返す。寒いのでマフラーに顔を埋めたまま此方を見つめるリオーフェにクロエルは昔を思いだすように自分も片手を伸ばし、雪を掴もうとした。
「覚えていますか?昔、雪を掴んでくれとせがんで来てくれた事を……あの時が私にとってリオーフェ様の最初で最大の我侭でしたね」
「……そんなこともあったわね」
 思いだしたのか頬を赤らめながら呟いた。恥ずかしかったのかマフラーに更に顔を埋めるような格好をしているリオーフェにクロエルは苦笑する。ぶっきらぼうな返事だったが、彼女も覚えてくれていたことが嬉しかった。
「その時、困り果てた私が何と質問したのか覚えていらっしゃりますか?」
 未だに仏頂面をしているリオーフェを眺めながらクロエルは呟いた。リオーフェはその声にくすぐったそうに瞳を細める。アメジストの瞳が優しい色を浮かべた。
「一字一句間違えずに覚えているわ。『姫さま。何故雪が白いのか知っていますか?』でしょう?」
「正解です」
「あの時、本当に困ったわ。『何故雪が白いのか知っていますか?』なんて言われて。雪が白いのは最初からその色だと思っていたからあの頃の私は寧ろ雪が白いのは当然だと思いこんでいたし、しかもクロエルは意地悪な事にその質問に答えられなければ雪を掴んでくれないと言うから酷く悩んだ記憶があるわ」
「その割には直ぐに音を上げましたけどね」
 くすり、と笑いながら呟くクロエルにリオーフェは憮然とした顔をする。だが、直ぐに綻んだ笑みを見せた。
「結局哲学の話まで飛躍して――歴史のお勉強をしっかりしていないのがばれてしまったのよ」
 リオーフェは遠くを見つめながら思いだすように語る。
「その後はクロエルが歴史の関する質問を何かある度に出してくるから困ったのを覚えているわ……今となっては意味がないけど」
 その言葉に隠された怒りを通り越した感情を咄嗟に感じ、クロエルは口を噤んだ。そうだ。それから一年もしないうちに同盟国であった王国に我が国は滅ぼされたのだ。その時の事を思いだし、リオーフェは感情のない表情のまま前を見据えた。そう、あの国王の手によって―――
「……」
 今となっては過ぎ去ったこと。過去の事を一々思いだして感傷に浸るのは好きではなかった。自分は今を生きているのだからそんな事を思いだすのはあまり好きではなかった。しかし、その姿を見たクロエルは何を思ったのか何か考え込むように言った。
「リオーフェ様、明日にでも昔あったルヴレイン王国に行ってみますか?」
「え?」
 それはリオーフェにとって考えた事もなかった提案であった。


全ての過去に決着をつけようか


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