一昨日までの吹雪が嘘のようだ。とリオーフェは心の中でそんな事を思いながら一面銀世界で染まった大地の上を慣れた動作で歩いていく。枯れた木の枝に沢山降り積もった雪を尻目にそこが正規のルートなのかも分からぬ道をスルスル歩いていった。皮のブーツが雪を踏み締めるためにぎゅっぎゅっと音が響く。
 ――どうして雪の降った後の世界はこんなにも静寂に満ち溢れているのだろうか。
 普段から静けさが漂う魔女の森だが、今は寄り一層静かな雰囲気を漂わせていた。ふいにリオーフェは目的地に着いたのか歩む足を止める。一見何にも無さそうな場所だが、実はこの雪の下に薬草が埋もれているのだ。一昨日の吹雪に襲われ雪の下敷きになっているが、大丈夫だろう。
 その場にしゃがみこむと小さなスコップを片手に雪を掘り返す。あまり勢いよくやると下に埋もれている薬草が傷ついてしまうかもしれない。丁寧に雪をどけていくと薬草がその姿を現した。今回作るのに必要な薬草だけ集めるとリオーフェは薬草の上に再び雪を被せる。自然の姿にさせてあげるのが一番だと思ったのだろう。それにこの天気ならあっと言う間に雪は溶ける事だろう。
 それから薬草を片手に帰ったリオーフェが見たのは未だに居座っているエカテリーナとロリッシェの姿だった。一昨日までは猛吹雪に晒されていたので帰る事が出来なかったが、今日と言う今日は帰って貰わないと流石に困るし、面倒だ。
 好き勝手にお茶を楽しんでいる二人を他所にリオーフェはベッドで寝ている怪我人の様子をまず見る事にした。朝確認した時は幾分か良くなったようだったが、今も少し穏やかな表情で眠っている。額に浮かんだ汗をハンカチで拭ってやるとリオーフェは擂鉢を用意すると先ほど摘んできた薬草を細かく刻んだ後、擦り始めた。
 ゴリゴリと軽快な音が響き渡り、不思議そうな様子でエカテリーナが擂鉢の中を覗きこんできたのが分かった。
「今度は何の薬を作っているの?リオーフェ」
「昨日よりも具合が良くなったようなので少し弱めの薬にしようと思いまして。今まで服用してもらってきた薬は少し副作用があるので……」
「そうだったの。薬にも色々種類があるから大変ねぇ。あ、そうだったわ。また今度作って欲しい薬があるのよ。その時はお願いね、白き魔女さん」
「……わかりました」
 茶目っ気たっぷりな様子でウィンクするエカテリーナにリオーフェの態度はあくまで淡々としたものだった。その姿に些か不満そうに唇を尖らせたが、これ以上仕事の邪魔をするのは悪いと思ったのかそのまま椅子に座りなおす。その直ぐ側では地下の図書館から本を大量に持って来たロリッシェが読書に耽っているのが分かった。
 本当に喋らなければ迚も素敵な――淑女然とした素晴らしい女性だと言うのに……
 こっそり溜息を零しながらゴリゴリと音を立て続ける。一体どれくらい擂粉木を動かしたのだろうか。このぐらいでいいか。とリオーフェは薬を観察していると、ふいに影が降り立った。不思議そうに見上げるといつの間にか側に寄ったロリッシェが擂粉木を片手に違う薬草を調合していた薬の中に入れてかき混ぜ始めたのだ。驚いたように瞳を見開くリオーフェにあくまでロリッシェは静かに呟いた。
「この傷薬を作るよりもこの薬草を入れて作った傷薬の方が塗った後効果が持続しやすいし、よく効く」
「なんでそんな事を知っているのですか?」
 不思議そうに聞き返すリオーフェに珍しくロリッシェは苦笑した。
「昔、この薬を作ったからな。よく擦り傷を作る莫迦が一人近くに居たから私も自然と覚えたのだ」
 まただ。そんな事をリオーフェはロリッシェの顔を見ながら思った。また彼女は何処か寂しそうな、何かを思いだすような表情を浮かべながらそう呟いた。悲しくて、でもそれは思い出でしかなくて――忘れようにも忘れられない彼女にとっては大切な思い出。
 時折ふとした瞬間に心の底にしまったはずの思い出が溢れだしてくるからロリッシェはそんな表情をするのだろう。自分も、同じだ。とリオーフェは微かに思う。自分も昔の事を思いだし、そんな表情を浮かべる事があるからよく分かる。何故そんな顔をするのかが。
 でも、そればっかりは時間が解決してくれると知っているからリオーフェはあえて何も言わずにポットに手をかけた。
「今、紅茶を淹れますので少しお茶にしましょうか」
「まぁ!本当?嬉しいわねぇ、リオーフェのお茶が飲めるなんて幸せだわぁ」
 本当に嬉しそうな笑みを浮かべながらそう呟くエカテリーナにリオーフェは御愛用のティーカップを用意しながらふと不安そうにちらりと見た。
「お屋敷の方にお戻りになられる時、再び兵士に襲われたらどうしましょうか……」
「大丈夫よ。私、こう見えてもやわじゃないのよ。兵士如き簡単に蹴散らしてやるから安心しなさいな」
「……そうですか」
「そうよ。私を誰だと思って居るの?最強と謳われる黒き魔女よ。寧ろ私を襲おうなんてする輩の方が痛い目を見そうね」
 と恐ろしい事をサラリと呟くエカテリーナにリオーフェは一末の不安を覚えながら頷く事しか出来なかった。


そう言って綻ぶ彼女の笑顔は黒かった


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