「ロリッシェ・フェルミ・グロッカス?」
急に黙り込んでしまったロリッシェを不安そうにリオーフェは見つめていた。遠くを見ている瞳は何処か淋しげでいて、悲しそうだ。それでも優しく見えるのは屹度、その思い出があまりにも大切だからに違いない。彼女にもこの庭を見つめ、思い出すことがあるのだろうと思った。漸くフィオーレの声に気づいたのかロリッシェは苦笑を浮かべながら瞳を細める。何時もと変わらない笑みなのに人を見下すあの笑みが消えていた。
「そうだ。クロエルをこのサロンに呼んだのはリオーフェと一度ゆっくりと話をして貰いたかったからだ」
突然名前を呼ばれたクロエルは驚いたようにロリッシェを見る。彼女の真意が分からないからだろう。それはリオーフェとて同じだ。彼女が何を考え動こうとしているのか瀟洒分からない。二人から探るような視線を浴びせられてもロリッシェは平然としていた。普段のように余裕綽々の笑みで二人の視線を交わすと空になったコップを傾ける。直ぐに執事の男がコップに紅茶を注いだ。
「長い間いろんなことがあったんだ。少しは話をさせてやってもいいだろうと思っただけだ」
それに、と言いながらロリッシェは意味ありげに微笑む。
「クロエル、お前も一緒にリオーフェと暮らして見るのも悪く無かろう」
「「はい!?」」
一瞬その場に居た。殆どの者の目が点になった。だが問題発言をした当の本人は気にした素振りも見せず楽しげに微笑んで見せる。
「クロエル自身リオーフェのまだ家来だと思っている。だったらその夢を叶えてやりたいじゃないか。少し話し合って見たらどうだ二人とも。離れた時間を取り戻すことは出来なくとも歩み寄る事を人は出来るからな」
ロリッシェの言葉にリオーフェは無表情で見つめていたが諦めたように溜息を付く。アメジストの瞳が伏せられる。過去を嫌い、自分の名前まで捨てた自分が過去の自分を知っているクロエルと共に暮らすなんて、考える事も出来ない。そもそも彼には彼の暮らしがあるし、誰が好き好んで森の奥深くに住みたいと思うのだ。だがそんな事を言っても通用する相手ではないのを知っている。何と言っても唯我独尊女、ロリッシェなのだから。ある意味それだけならエカテリーナ様より強いかもしれない。
「少しだけなら、話をしてもいいです」
妥協した言葉にエカテリーナは微笑み、ロリッシェ本人は楽しそうに笑った。身勝手な人だと何時も思う。だけどそんな姿が何処か憎めなくて、好きだった。昔の自分を知っているクロエルといるといつも思ってしまう。彼はどうしてこんなにも変わらないのだろうと。でも、彼が変わらないのはきっと……
「リオーフェ様」
「リオーフェでいいです。そんなに地位の高い存在でも無いし」
「ですが……」
「そんな事を言っているとクロエルさんとお呼びしますよ」
「……わかりました」
苦虫を噛み潰したような苦い表情を浮かべ渋々頷くクロエル。名前を呼ぶだけでこの二人の主従関係が明確になってしまう。解り易いとも言える関係だった。それでも面白いと感じるのは相手がリオーフェだからだろうか。幼い二人のやり取りを見つめていたエカテリーナは出されたお菓子を摘みながら本題に入った。
「で、今日は何で二人を会わせたのかしら?何もクロエルと一緒に暮らさせるのが目的では無いでしょう」
「まぁな。最近国王が怪しい動きを見せているからな。一応念のために護衛兵でもつけようかと思って」
「で、抜擢されたのが彼」
「そういうことだ。護衛兵の中ではかなり強いのにその地位が中々変わらないのは昔潰した小国の兵士だったからだと言う理由だ。だったら私が貰っても罰は受けまい。それにあの二人を見ていると思いだすものがある」
「ふぅーん」
急にしんみりとしてしまったロリッシェにエカテリーナは適当な相槌を打つ。別に彼女の過去に興味があるわけでもないし、何より知らないと言うのが一番だ。彼女は自分の過去を語ろうとはしない。でも、それでも大まかなことは知っているつもりだ。始まりの原点と言う奴を。
「山茶花が好きだった人って、彼でしょ」
「誰の事だかさっぱり分からないな」
「誤魔化しても無駄。あの二人に通用しなくても私には分かるんだからね。でも、吃驚するでしょうねぇリオーフェは。まさか御先祖様の生まれ変わりが目の前に居るのだから」
「……まあ、な」
青い瞳がゆったりと閉じる。楽しげに浮かべられた笑みは何処までも優しいものだった。人には常に大切なものが存在する。その大切なものを護る為に自分たちは何時も生きているのだ。その大切なものは酷く脆く、崩れやすい。だから、私たちは――その大切なものを失わないように必死で足掻きながら今を生きているのだから。
「それにしてもあの愚図王は何を考えているのかしらねぇ」
「知るか。あんな愚か者の考えることなど想像したくもないわ」
「そうねぇ。でも、何だかとんでもない事をやらかしそうなのよねぇ」
のんびりと呟かれた言葉。その時は特に意味が無くともそれは後々重要となってくる。そう、まさに平和な日々が崩壊するカウントダウンは既に鳴り響いていたのだ。ただ我々がそれに気づかなかっただけで。いいや、視線を背けていたのだろう。真実と言う怖ろしい現実から。
嗚呼、一歩一歩終わりに近づいていく!
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