今でも忘れられない言葉がある。それは止めどない膨大な記憶の彼方に浮かぶ塵に等しいぐらい小さな思い出。だけど、何度転生しても、何度生まれ変わってもその言葉だけは忘れることが出来なかった。何故なら、その時が私の人生で一番幸せだった頃だったからかもしれない。


 其処は一年中花が咲き誇る花の楽園とも言える場所だった。小鳥の囀りを聞きながら現と夢を行き来する。手に持った本はページがパラパラ捲れ、軽快な音を立てた。透き通るような肌に落ちた長い睫毛の影はしなやかで綺麗だ。雪のように真っ白な髪の毛はふんわりとしており、丁寧に手入れされている髪先は綺麗にカールされている。手入れも大変そうだが、珍しい髪質の色だった。銀色とも言えぬ白髪は風に揺られ辺りに散らばった。誰がどう見ても人形のようにしか見えないその光景。一瞬近づくのさえ躊躇ってしまうほど辺りに漂う空気は静かだった。いいや、時が止まっているような空間だと表現した方が良いだろう。
「またこんな所で昼寝をして……風邪を引いても知らないよ」
 声の主は何処か呆れたように楽園の園でうたた寝している人物を見つめる。
 これまた不思議な銀色のようで白い髪質を持つ青年だ。透き通るようなアメジストの瞳は優しげに細められ、薄い唇には何処か微笑みが浮かべられている。ほっそりとした輪郭は撫でたくなるほど綺麗だった。女性が羨むほどきめ細かな肌を持っている青年は綺麗にカールした髪の毛を一房掴む。そのまま甘い香りを放つ髪に触れるだけのキスを落とした。
 見ているだけでくすぐったくなるような光景だ。
 ふいに寝ていたと思われる女性が肩を揺らし、クスクス笑い出す。まるで鈴が転がるようなかわいらしい声がその唇から漏れた。
「突然何をし出すのかと思ったら……面白いことをするなぁシャルウェイトは」
 長い瞼を震わせ、ゆっくりと開かれる瞳。海と山の二つを持った瞳は酷く綺麗で美しかった。やはり人形のようで美しく聡明な女性。それがシャルウェイトの実姉でもあるロリッシェだった。やはり狸寝入りだったのか、小さく欠伸を漏らすとロリッシェはくつろいでいた身体を持ち上げる。太陽の光を満遍なく浴びた髪の毛はキラキラと輝いた。
 長い指先が開いていた本を閉ざす。暇つぶしに読んでいたようだが、この天気の良い日に昼寝をするなという方が無理だろう。やはりロリッシェもその甘い誘惑に負けた一人のようであった。
「狸寝入りしている意味が無かったんじゃないかい?」
「何故?」
「ん?だって、こんなに簡単に起きちゃ意味がないと言っているのさ。折角やっているのならそれを突き通すべきだと思うんだ僕は」
 さも狸寝入りをすることを進めるように呟く弟にロリッシェは噴き出した。
「ふふふ、変なことを言う奴だ。だから面白いと言われるのだよシャルウェイトは」
 だから民もお前を王に選んだ。それが人々の意思だからだ。だが、誰が想像するだろうか。普段人前で弱みを見せない男が実はこんなにも甘えん坊なまだまだ幼い子供だと言うことを。案の定何処か幼い表情を浮かべたシャルウェイトが不機嫌そうに柳眉を顰める。唇が尖った。
「全く、そう言う風に開き直った態度!そんな事をしているから民が姉さんを見る度に逃げ出すんだよ……まぁ、姉さんらしいといえば姉さんらしいけどね」
 端正な界に諦めにも似た表情を浮かべ溜息を零す。その様子に思わずロリッシェは笑い転げた。
 青と緑色のオッドアイに沢山の涙を浮かべている。長い指先がこぼれ落ちそうな涙を拭った。
「その通りで言い返す言葉もないよ。だがそれが私と言う人間であり、その証拠だ。それに悪い所ばかりではなく、良いところでもある」
「それを自分で言ったら駄目だよ」
 直ぐ調子に乗るんだから。と、シャルウェイトは呆れ気味に瞳を閉じつつも笑っていた。
 平和だったのだと、今思い出せばそんなことを思う。あの頃は何も知らなかったのだ。世界がどれ程汚く、汚れていたのかなど考えたこともなかった。だが、実際はそんな綺麗な言葉だけを並べて済ませられる問題では無いというのに。
「何時までこの国は平和なんだろうね」
「お前がそれを望むまで此処は平和だよ」
 そう、少なくとも心の底からこの弟が望んでいるのなら全力で力を貸したいと思う。だが、それを望まなくなる日が必ず存在するのだから。人の貪欲さを嫌と言うほど知っているロリッシェは微笑みながら愛おしい弟を見つめた。自分と同じ白い髪をした青年。しかし今となっては小さな国の国王でもある存在。少なからず必要とされているのだシャルウェイトは。だから今日もこんなに一生懸命国を作るために色々動き回っている。
 それを影ながらに支えていきたいと思う。表だってあれこれ言うのはあまり好きではない。だからこそ……
 この優しくない世界のために、私は影ながらに支えていこうと思う。この大切な存在を。その意志を明確に伝えていないからシャルウェイトは知らないだろう。それか気づいてはいるが知らぬ振りをしているかのどちらかである。まあ、其処まで策略家ではないと思うので最初の方が有力な説だろう。ふいにシャルウェイトは振り返りロリッシェの表情をマジマジと見つめた。透き通るような綺麗な瞳が真っ直ぐ此方を見つめているのが分かった。思わずそのまま見取れてしまう自分が其処には居た。どうしてそんなに綺麗な瞳をしているのだろうかと毎回思うほどだ。シャルウェイトはゆっくりと微笑んだ。
「これからもよろしくね、姉さん」
「どうしたのだ?急に改まったりして」
「別に意味なんて無いさ。ただ言いたかっただけなんだ。気にしないでくれ」

 それは一つの優しい思い出。時に思い出す度に消えてしまいそうなほど泡沫の安らぎの中で今も思い出される。遙か昔と言えるほど昔の思い出。色褪せることのない思い出。今もひっそりと心の奥でその存在は今もまだ息づいている。


甘い雪色の髪の毛にキスを


戻る/ トップ/ 進む