案内された庭園は迚も広く、綺麗な花々が咲き誇っている箱庭のようだった。冬だというのに大きな花を咲かせている庭には甘い香りが漂っている。リオーフェは息を飲みその光景に見入った。その庭園が昔、住んでいた城にあった小さな秘密の花園に似ていたからだ。何故秘密の花園なのかは分からない。だが、そこは一年中お花が咲き誇り、微笑んでいるからだ。呆然とその光景に見入っていると、ロリッシェがするりと横を通った。白いショールを掛け直し椅子に座る。パッチリと開いた瞳が楽しげに細められた。長い指先が空いている席を指さした。
「何処でも良いから好きなところに座ると良い」
「ありがとうございます」
ずっと立っているわけにも行かずリオーフェもその場に座ることにした。だが、其れ以上に気になるのはこの風景で――
「やっぱり似ていると思いますか?」
「クロエル……」
先に来ていたクロエルが苦笑を浮かべながら此方を見ていた。確かに似ていると思う。建物の作り方や花の植え方。何から何まで同じようにしか見えない。特に誰が好きだったのかは分からないが山茶花がよく植えられていた。冬になるとそれは、それは見事な白い花を咲かせるのだ。そして枯れるときは一枚、一枚散っていく。その姿が幼い頃から何処か淋しくおもったものだ。その花が、今目の前で綻んでいる。綺麗に笑いながら花を広げている。美しくて綺麗な花。此処が何処なのかもわすれ、過去の思い出に浸っていると、ふいにくすりと玲瓏な声音が響いた。
「山茶花の花言葉を知っているか?」
「サザンカの、花言葉?」
リオーフェは瞳を瞬く。薬草のことに関しては何でも知っているが、花言葉については全然知らなかった。女の子なら知っていそうだが、そんなことも知らないなんて。何でも東洋に咲く珍しい花らしいのだが、こんな所に咲いているなんて。ロリッシェは楽しそうに微笑むと、瞳を細める。長い睫毛が頬に影を落とした。
「サザンカの花言葉は『困難に打ち勝つ』だ。良い言葉だと思わないか?」
「困難に、打ち勝つ……」
何処か冷たい風が辺りに吹いた。頬を撫でる風が何処か肌寒い。白い頬に微かな赤みが差した。まるで誇らしげに咲いている山茶花が何処か一層綺麗に見えたのだ。昔と変わらぬ光景に錯覚してしまいそうになる。此処が、嘗て住んでいた城に重なって、瞳を閉じた。思い出は何時までも色褪せない。そう、どんなに忘れようとしても。
「まぁ白い山茶花には別の意味があるのだけどな」
ティーカップをなぞりながらロリッシェは呟く。彼女にもそれなりに思い出があるのだろう。微かに浮かべられた笑みがそれを何よりも物語っている。それは遠き日々を思い出すように緩慢な動作だった。
「元々その山茶花が好きだったのは私ではない」
「?」
「莫迦な弟がいてな、奴が酷く好んでいた花だった」
今は存在しない存在。生きているはずもない。何故なら遙か昔の出来事だからだ。そんな会話をしたのも、本当に喧嘩をし、仲直りしたのも全て昔のこと。今では青臭い思い出の一つかも知れない。まだあの頃の私は若かったのか、理解できていなかったしそもそも何でこんな事になったのかも分からない。ただ覚えているのは山茶花が好きだった彼奴のために、思い出として咲かしておこうと思い植えたのがその花が此処に咲き誇る由来だ。
今は我が物顔で此処に花を綻ばせ、咲かせているが、数年前まではこんな所に山茶花など植えていなかった。いいや、興味がなかったのだろう昔の私は。数年前の自分を昔と言うのは語弊があるかも知れない。だが、この数年で自分は変わった。いいや、思いだしたと言った方が良いだろう。自分の過去を、世間一般の言葉を借りて言うのなれば前世の記憶という名の存在を。
「白い山茶花の花言葉は、理想の恋。エカテリーナには一生無縁そうな名前の花だな」
「まぁ、失礼な」
鼻で笑われエカテリーナは引きつった笑みを浮かべる。今にも掴みかかりそうな自分を必死で堪えているのが端から見ていてよく分かった。呆れたようにこぼれ落ちる溜息。どうしてこの二人は仲が宜しそうでそうでないのやら。いいや、信頼しているからこそこんな風に軽口を叩けるのだ。でなければ幾ら知り合ってから長いとは言えエカテリーナ様に頭が上がらない私はどうしたらいい?私の意思など関係なしにズカズカ土足で心の中に入り込んでちゃっかり居座っている不思議な存在。それはロリッシェも同じだった。絶対他人と関わりを持たないと決めていたのに何故かこんな所にまで来て自分はサロンに出席している。
リオーフェは人知れず再び溜息を零した。そうだ、嘗ての自分を知っているクロエルも此処には存在する。まるで此処は現在と過去がごちゃ混ぜになった空間のように思えた。
昔の懐かしい思い出も在れば、現在進行形で新しいことが次々に生まれていく。例えば喧嘩をしている目の前の二人とか。クロエルは気にした様子も見せず出された紅茶を啜っている。そんな姿は昔からちっとも変わらないなと思ってみたりもして――とにかく不思議な感じだった。
ふいに反対側に座っていたクロエルが優しく微笑んだのが分かった。彼は何時だってそうだ。何時も自分を気に掛け心配してくれる。もう自分は貴方の主ではなくなったというのに、それでも君主として慕ってくれる。そんな優しさに触れる度に凍てついた心が微かに揺れ動くのだ。そう、本当に微かに。でも、凍り付いた心に響く声など存在するのだろうか。
こんなにも昔のことを忘れられずにいる自分がまだ存在するのに――
美しい思い出にこの身をうずめたい
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