握った手は子供の手のように小さく、だが何処か温かかった。子供は基礎体温が温かいため、基本的には温かい。リオーフェの手はまさにそんな感じだと迷子にならないように握りながら歩いているレオンはぼんやりと思った。最初嫌々と首を振るって断っていたリオーフェだが、一人では到底たどり着けないと漸く判断できたのだろう。渋々と今回向かう場所でもある「グローカス家」の名前を口にした。
さすがにその名前がリオーフェの口から出てきたときは何かの間違いじゃないのかと思った。あのロリッシェがリオーフェと知り合いの筈がないと思ったのだ。だが、彼女が嘘をつく理由がないし、あのロリッシェなら魔女相手にでもサロンに招待するだろうと判断したのだ。
最初のうちは後ろから着いてきていたリオーフェだが、コンパスの長さが違うので必然的に距離が離れてしまう。何度も早歩きで着いてくるリオーフェにレオンは迷子にならないようにとその小さな手を取ったのだ。掴んだ手は子供のように温かく、柔らかかった。
子供のようだと思ったが、そんなことを言えばきっとリオーフェは完全に臍を曲げてしまうだろう。そんな彼女を見てみたいかも知れないと思う自分がいることにレオンは内心驚いていた。自分は女性なんて全く興味が無いというのに。いや、それも彼女の場合は女性と言うよりもまだ子供だ。記憶が正しければまだ十五歳だったと思う。
彼女は年齢のわりに随分大人びた印象を与えるため、そんな風には見えないが実はそうだったはずだ。歩くたびにフードから零れた長い髪の毛が見え隠れする。どうせなら綺麗なかわいらしい服を着てくれば良かったものを。サロンに出席するのにそんな恰好でくる女性も珍しいだろう。
レオンはそんなことを考えながら煉瓦を敷き詰められた大地を歩いていく。人々に紛れながら歩いていく姿は正しく仲慎ましい兄妹のような光景だろう。
「所で何故ロリッシェなんだ」
「え?」
「ロリッシェは王家とも親しい関係だ。そんな人間が『異端者』と呼ばれるお前らとサロンをしようなんて普通の考えじゃない」
差別思考のレオンにリオーフェは先頭を歩くその後ろ姿を見つめながら口を固く閉ざす。所詮彼も人を人と思わない存在の一人だったと言うことだ。人と少しでも考えの違うものは魔女と言い、拷問し、殺す恐ろしい存在。お前達の方が魔女だと何度言いたくなったことか。私は白き魔女だから生かされているが、他の魔女が王国で見つかったら即殺されるだろう。それほど王国は異端者にとって恐ろしい場所だった。
そんな場所でしかも王国の王子に道案内をして貰っているなんてエカテリーナ様が知ったら失神ものだと思う。きっと慌てた様子で「リオーフェに何するのよぉ!」と叫ぶに違いない。嗚呼見えて実は仲間思いな所があるのだ。
リオーフェはエカテリーナの姿を思い浮かべ苦笑する。だが、目の前にいる男だけはどうしても好きになれなかった。この国の王子と言うこともあるだろう。だが、根本的な何かが違った。二人を分かち合ったのだ。混じり合うことがない二つの感情。それがリオーフェとレオンを分かつ絶対条件だった。
「所詮貴方は王国の人間、私は異端の魔女。やっぱり王国の人間とは分かり合えないみたいです」
リオーフェは繋いでいた手を振り払った。澄み切ったアメジストの瞳が冷たい色を宿す。振り払った手が酷く痛かった。冬の空に声音が響き渡った。
「此処までで結構です」
「何?」
「もう、貴方に案内されずとも自分で歩いていきます」
もう迷子になってもいい。この男の手だけは借りたくなかった。まるで敵だと言わんばかりに睨み付けるリオーフェ。その瞳は冷たく、迚も冷ややかな色を宿していた。相容れぬ存在だとしたらこれ以上関わりたくなかった。
どんなに冷たい眼差しで見られようともリオーフェは関係ない。目の前の男に頼りたくないのだから。柳眉をつり上げ目の前の存在を睨め付けた。風が吹くたびにフードが揺れる。隠しきれていない白い髪の毛がふわりと舞った。
「さようなら」
小さな背中が遠くに離れていく。酷く、寒そうな身体に思わず手を伸ばし掛けて止めた。彼女は自分などに手を差し伸ばされたくないのだろう。現に彼女は自分の手を振り払った。きっと自分は彼女と分かり合えない存在なのかも知れない。一瞬頭に諦めにも似た感覚が過ぎる。確かに諦めるのは酷く簡単だ。だが……
人は同じ過ちを繰り返さないために、歩み寄ることもできるのだ。
そのまま早歩きでリオーフェの前に先回りすると頭を下げた。怪訝そうにリオーフェが見つめているのがわかった。自分でも莫迦げていると思う。だが、これしか方法が思いつかなかったのだ。自分が悪いのなら自分が謝ればいい。普段人に頭を下げられる立場の自分が頭を下げるのは酷く不思議な感覚だった。
「悪かった」
たった一言。それだけ言うのに一分も掛かってしまった。だが其れ以上に驚いたのはリオーフェだろう。王国の、それも第二王子が自分に対して頭を下げているのだから。理解できないと言わんばかりに眉を顰めると「面を上げて下さい」と呟いた。静かな声音が鼓膜に響き渡る。リオーフェの声は何時聞いても綺麗だと思った。現に綺麗で美しいのだ。珍しい白色の髪の毛が風に弄ばれるように揺れ動く。無表情な表情に浮かんだ苦渋の色。彼女に嫌われているのは一目瞭然だった。自分の行動がどれ程彼女を困らせているのかは十分分かる。だが、このまま一人で行かせても無事に辿り着ける保証がなかった。寧ろまた迷子になっていそうで、だから自分が最後まで案内しようと思ったのだ。
こんな所で異端狩り者達に見つかって彼女が殺されるのを見るのは忍びないと思ったのも事実。こんな世の中だからこそ彼女を一人で歩かせることが出来なかった。
「最後まで俺に案内させてくれないか、リオーフェ」
「……」
一瞬名前を呼ばれリオーフェは驚いたように瞳を見開いた。自分で名乗った覚えが無いと思っているのだろう。確かにその通りだ。リオーフェは自分に名前を名乗った覚えがない。だが、黒き魔女が白き魔女のことをそう言ったのを聞いていたのだ。
昔とは名前が違うのだな、と少しだけ淋しげに思った。彼女は昔の自分をとっくの昔に消し去ってしまったのだ。だから今はリオーフェというのが彼女の名前。
リオーフェは困ったように溜息を付いた後、お願いしますと再びお願いしたのであった。
さようならなんて言わないでくれ
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