右を見ても左を見ても人、人、人。其れしか言葉が出てこなかった。煉瓦造りの町並みを馬車が目の前を何度も行き来する。実際自分も此処までは馬車でやって来ていたのだ。それが途中で故障してしまったのだ。理由は馬車の脱輪が原因だった。怪我こそしなかったものの、もう馬車では向かえないと言うことなので「歩いていくしかないわね」と、意気込むエカテリーナ様にリオーフェはこっそりため息を付いた。大変な旅になることは明白だというのに。そして案の定リオーフェは迷子になっていた。一緒にエカテリーナと歩いていたはずなのにいつの間にか姿を見失い、一人孤立していたのだ。
これだから街に出るのは嫌だったのだと思いながらウンザリとした表情を浮かべるものの、その捌け口でもある人物は此処には居ない。見知らぬ街、見知らぬ場所、見知らぬ世界に入り込んだような気分に陥る。このままだと不味いと感じていてもそれを打破する手だてがなかった。
このまま森に帰るのは不可能だ。何せ遠いし、森に対し此処が何処なのかいまいち分からない。街に余り訪れないのが今回は仇となったようだ。
「さて、と……どうしたものか」
困っているのに表情が貧しいリオーフェは普段と変わらず無表情だ。白い髪の毛が冬の冷たい風に揺れ動く。知らぬ者には冷たい街だと肌身で感じた時だった。ふいに背後から人が近づいてきた気配を感じ振り向いた。
「――お前は……白き魔女?」
「……!」
呟かれた言葉にリオーフェはサッと顔色を無くした。目の前に佇む男にリオーフェは一歩引き下がる。だが、アメジストの瞳は食い入るように目の前の男を見ていた。
「何故貴方が此処に……」
微かに語尾が震えたがそんなことは気にしていられない。此処は敵の陣地と言っても過言ではないのだ。王国の人間は私達『魔女』の存在を忌み嫌っている。そしてその原因を作った国の王子が目の前に立っているのだ。逃げろと本能が警告を発している。そのまま数歩下がろうとするがその前に腕を掴まれた。真っ直ぐ見据えるアイスブルーの瞳が恐ろしい。
まるで全てを見透かされそうで思わず視線を逸らした。掴まれた腕が酷く痛い。最後に会ったときはあろう事か取り乱してしまったことを鮮明に覚えている。顔を俯かせたまま、前回の無礼を詫びれば気にした様子もなくレオンは首を軽く振った。本当に気にしていないのだろう。だが、リオーフェにとってはそんなことはどうでも良いのだ。何故彼が此処にいるのかが問題だった。
それはレオンも同じ疑問だったのだろう。鋭い眼差しが真っ向からリオーフェに向けられ怯んだ。
「白き魔女。何故こんな所にいる。此処が何処だか分かっているのか?城の近くだぞ。異端者狩りでもされに来たのか」
「ち、違います!今回は用事で来たのです。でなければ誰がこんな所にまで――」
吐き出すように呟くとリオーフェは首を緩やかに振い呟いた。
「とにかく腕を離して下さい。痛いです」
「逃げないと約束するか?」
「…………何もしないと言うので在れば」
暫く渋った後、リオーフェは漸くそれだけ呟いた。レオンはその言葉に心外だと言わんばかりに瞳を細めたが、リオーフェに危害を加えると思われたことに些かショックだったのか無言で腕を離した。痛いほど強く掴まれていた腕が漸く自由になった。
腕をさすりながらレオンを見つめる。アイスブルーの瞳が冷たい光を宿し見下ろしているのが分かった。
「で、王子ともあろう貴方が何故此処に?」
不思議そうに首を傾げる。一見無防備そうに見えるがその外見にそぐわず、目の前のレオンを探るように見つめていた。腰にはしっかり剣が刺さっている。殺そうと思えば自分など殺せると言わんばかりだ。しかしレオンはそんな素振りは見せず自分の姿を上から下を何度か上下させた後「何処かに呼ばれているのか」とまるで全てを知っているように呟いた。観察力は鋭い方なようだ。内心感心しながらリオーフェはその言葉に頷く。
「そんなところです。いい加減良いでしょうか?」
とにかくこの場から走って逃げたかった。全力で走って走って、目の前の男から逃げたかった。彼が齎すのは何時も恐怖だとリオーフェは思う。彼を見て安らぎを感じた覚えがない。
仕事中ではないのかラフな恰好をしているとは言えきちっと着込んだ姿からは威厳が感じられる。普段よりも服が煌びやかでないのにその分だけ男らしく見えてしまったのは気のせいだろう。というか気のせいだと思いたい。必死で頭の中に浮かんでは消えていく言葉というなの妄想を消し去りながらリオーフェは全てを振り切るように首を振るった。
「今更聞くようで悪いが、馬車にも乗らずこんな所で何をしている」
まさか迷子になっているわけじゃないだろうな。そう呟かれた言葉にリオーフェは口を固く閉ざしそっぽを向くことしかできない。こんな男に同情されるのも癪だし何より莫迦にされるのだけは嫌だった。
そのまま踵を返し立ち去ろうとするが直ぐに腕を掴まれそれは敵わなかった。振り向き様に白い髪の毛が揺れる。アメジストの瞳はまるで睨み付けるように鋭かった。
「まさか迷子なのか?」
「……離して下さい」
驚きの含まれた言葉にリオーフェは更に苛立ったように言い返す。こんな事ならばさっさとこの場から離れていれば良かったと今更思っても遅い。諦めたようにため息を零せば、レオンが意外な言葉を発した。
「案内してやる。目的地を教えろ」
「……」
「一人で歩かせておくと永遠に彷徨っていそうだからな」
そんな事になったら夢見が悪い。ぼそりと呟くレオンにリオーフェは困惑したような表情を浮かべた。確かにこのまま一人で彷徨っていても目的地に辿り着くことはないだろう。暫しリオーフェは考えていたが、覚悟を決めたように「お願いします」と頭を下げたのであった。
だから都会は嫌いなのよ
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