その日は妙に嫌な予感がする日だった。薬草を磨り潰す音が辺りに響き渡る。時々薪を暖炉にくべてやれば軽快な音を立てて新しい薪を真紅の炎で包み瞬く間に炎の火を高らかに踊らせる。だが、同時に外で雪が降っているように静かな日だった。シン、とした空気は何処か異様で不気味だ。それが何を意味するのかもリオーフェは理解している。そろそろ頃合かと思い玄関の扉を開けた時だった。真っ赤に燃えるような赤い髪が靡き一人の女性が家の中に突っ込んできた。スライディングの如く滑り込んでくる。在る筈のドアが勝手に開いたことによりそのまま止まる事無く女性は家の中に滑り込んだ。そして近くにあるソファーに激突して漸く止まった。女性がぶつかった衝撃により家が揺れると同時に辺りに埃が舞う。その光景をリオーフェはあくまで冷たい視線を投げかけながら見ていた。一度なら許そう。二度目もまだ許せる。だが、仏の顔も三度までと言う言葉を聞いたことが無いのだろうか彼女は。リオーフェはゆったりと微笑むとまだその場に伏せ死んだ振りをしている女性に向かって笑い掛けた。
「エカテリーナ様。仏の顔も三度までと言う東洋の諺を知っていますか?」
「あぁーごめんなさいリオーフェ!謝るからそんなに怒らないで頂戴。この通りだから」
 勢いでその場に座りこみ土下座をするエカテリーナにリオーフェは微笑みながら次に同じ事したら許しませんから。と釘を刺す。普段あまり怒らない人間が怒るとこうも恐いのだと思い知らされる瞬間だ。懲りずにドアに突っ込んだのがいけなかったらしい。しかもちゃっかり突っ込む直前でドアを開けている辺り来るのを予測していたのだろう。なんというか勘が良いと言うか。きっと今回も自分が来た理由をわかっているのだろう。
 恐る恐る顔を上げればいつの間にか紅茶を入れたリオーフェの姿が其処にはあった。どうやら今日の所は許してもらえたらしい。エカテリーナの前に紅茶を置くとリオーフェは自分も席に座りながら愛用のティーカップを啜った。今日は色々疲れそうなので甘めに砂糖をいっぱい入れてみた。甘い感触が口の中に広がる。嗚呼甘い。と呟けばエカテリーナが何時もに比べたら甘いわね。と頷いた。

「所で今日は何の用なのですか?」
 エカテリーナが言うのを躊躇っているのでリオーフェは自分から聞くことにした。どうせ逃げられないのは十分わかっている。だったら自分から聞いたって同じ事だと割り切っているのだ。そんなリオーフェにエカテリーナは懐から一通の手紙を出した。綺麗に包まれた手紙は上質な紙を使われているのがわかる。中身を開けて見れば綺麗字で何やら書かれていた。招待状のようだ。サロンの招待状にリオーフェは瞳を瞬く。誰が一体こんな物を……そんな事を思いながら最後にサインされている名前を見て固まった。其処には優雅な字でロリッシェ・フィルミ・グローカスと書き込まれていたのだから。勿論本物であるようにグローカス家の紋章が刻まれている。さすが名門とでも言って置こうか。
 あまり行きたくないリオーフェはあからさまにため息を付く。その様子に何故か嬉しそうにエカテリーナは微笑んだ。何だか妙に気になる。
「……どうしたのですか、エカテリーナ様?」
 エカテリーナは人の話を聞いていないかのように呟く。
「リオーフェ。嫌なら行かなくても良いのよ、あんな人が開くサロンなんか。むしろ私的には行ってほしくないの。あの人の近くに寄ってもらいたくないわ」
「それって、ロリッシェのことですか」
「それ以外に何があるのよ。あのお莫迦さんと一緒にいたらリオーフェまでおかしくなっちゃうかもしれないじゃない」
 理解出来ない発言に眉を顰めるリオーフェ。つまりエカテリーナ様は何が言いたいのだ?この手紙を持って来たのに出席してほしくないというのか?それでは明らかに矛盾しているような気がするのだが……
 リオーフェの困惑を他所にエカテリーナは一人で喋りだす。もはやその内容は愚痴としか思えない。日頃たまった鬱憤を此処で一気に放出しているようだった。思う存分言わせておけば一時間近く一人で喋っていたような気がした。途中で何度も紅茶が温くなってしまったので入れ替えたりしたがそれにすら彼女は気づいていない。それ程熱心に語っていたという事だ。半ば呆れた様に見つめるリオーフェにいい加減いう事も無くなってきたのかはた、と口を閉ざし今度はリオーフェの顔を覗きこんできた。端正な顔がジッと見つめ視線を逸らせなくさせる。何処までも真っ直ぐな瞳がリオーフェを見据えた。
「で、リオーフェは出るの?出ないの?」
 あれだけ出るなみたいなことを言っていて彼女は更に自分に選択肢を与える。本当に不思議だと思いながら悩んだ。実際どっちでも言いのだ。エカテリーナが出るなと言うのであれば出ないし、出る必要も無いと思う。逆に出てほしいのならこんな回りくどい仕方はしないと思う。
「エカテリーナ様にお任せします」
 どうせ出るな、というだろうし。そんな事を考えながらサロンの招待状を付き返そうとした時エカテリーナはコロリと態度を一変させ微笑んだ。それは策士の笑み。
「あら、じゃあリオーフェは出席と言うことで言いわね」
「はい……て、え?」
「だって私に任せるのでしょう?じゃあOKじゃない」
「いえ……でも、エカテリーナ様、先ほど出るなって……」
「嗚呼、あれ?あれは私の意見で所詮サロン開くのはロリッシェだし。一応連れて来いって言われただけだから多分リオーフェに拒否権は無いと思うのよね。でも、一応聞いておきたいじゃない?だから、ね?聞いたらリオーフェは私に任せるって言うし……なんて良い子なのかしら!」
 うふふふ、と陶酔した笑みを浮かべるエカテリーナに眉を顰める。つまり自分はまんまと嵌められたようだ。やられたと思うと同時にため息が零れ落ちた。本当、狡猾なお人だと改めて思い知らされた瞬間だった。


その狡猾さが少しだけ羨ましいわ


戻る/ トップ/ 進む