久しぶりに過去へと意識を飛ばしているといきなり肩を掴まれ現実へと戻された。驚いたように目を見開くクロエルの目の前にレオンの姿が映った。視線を動かせば肩にレオン王子の手が置かれている。何度か名前を呼んだのかその表情は何処か厳しい。何と言い訳をしようかと考えたときだった。クロエルが言う前にレオンが口を開いた。アイスブルーの瞳が真っ直ぐクロエルを見据える。
「少しいいか?」
「……はい」
 否定は許されなかった。


 少し散歩するように二人は人気のない庭を歩いた。手入れの行き届いた庭は何処までも綺麗だ。冬だと言うことで花壇には冬に咲く花が植えられていた。静かな沈黙が辺りに漂う。無言で前を進んでいくレオン。一体何処まで行く気なのだろうか。いや、其れよりも何を話す気なのだろうか。どうせリオーフェのことを話すのは確実だ。それだけは避けたかったし、望んでもいない。ふいにどちらかもしれぬうちに口を開いた。
「お前の剣術はまるで一種の舞のようだな」
 それはけして誉め言葉ではなかった。むしろ莫迦にされた気がしクロエルは眉をピクリとつり上げた。まさかこの王子にそんなことまで言われるとは考えもしていなかった。戦い方をああだこうだと言われるのはあまり好きではない。ましてや余所見をして負けた相手としたら尚更だ。自分は負けたつもりはない。むしろ勝ったつもりでいたのだ。あの時雪が降らなかったら自分が勝っていたかもしれない。まあ、どんなにいっても結局は負け犬の遠吠え。今更弁解などする気はない。自分は実際負けたのだ。頭をたれマニュアル通りに「ありがとうございます」と呟く。こういう相手に頭を下げるのは馴れている。別に抵抗感はなかった。
 そんなクロエルの様子にレオンは「頭を上げろ」と呟くと再び歩き出す。歩くたびに漆黒の髪の毛が揺れた。
「今は我が国に滅ぼされ無くなった小さき国の戦い方だ」
 ポツリと呟かれた言葉。クロエルの瞳が数段鋭くなったのが分かる。今でもあの時の夢を見るほどだ。そう簡単に忘れられる事ではないのだ。歩くことをやめ、前をゆっくり進んでいくレオン。ふいに振り返ると小さく唇を動かす。どこから調べたのかしらないが実に良く彼は知っていた。それこそ人が忘れていそうな伝承のことまで。
「お前の戦闘スタイルは独特だ。剣を軽々と振るい弾く姿は剣舞にも近かった。俺でなかったら完璧に相手は負けていただろうな」
「……」
「お前、ルヴレイン王国の兵士だっただろう」
 それは確認だった。彼の中でもうその事実が肯定されていたのだろう。リオーフェの正体を気づいた時点でもう自分の正体もばれているようなものだ。クロエルはこれ以上隠すわけでもなく肯定した。今更嘘をついても意味がないと思っているからだ。その言葉にレオンは静かにそうか。と答えただけだ。自分で質問して置いてそれは無いのではないか。と、思ったがそんなことはすぐにどうでも良くなった。
「所で何故お前は敵国でもあるこの国に仕えようと思ったのだ?」
 滅ぼされた国の兵士がこの王国で仕える例は余り珍しくない。色んな国から色んな人種が来ているのだ。負けた国の兵士が此処で働いていても違和感はないだろう。だがレオンにとってはこの男がこの場にいるのが納得できなかったのだろう。剣を交えた者だからこそ分かる感情がある。彼はまだこの国を許しているとは思えなかった。だからあえて問うのだ。彼は何故この地にいるのだと。その意図を完璧に理解したクロエルはどうしたものかと考えた。出来るのであれば話したくないのだが彼はそれを許さないだろう。諦めにも似たような感情を感じながらクロエルはゆっくり口を開いた。
「約束をしたのです」
「約束?」
 不思議そうに聞き返すレオンにクロエルは確認するようにそう、約束です。と頷いた。
 それは普通の人にとっては取るに足らない約束でも彼には十分すぎるほどの内容だったのだ。
「生きると約束しましたから」
 そう、王国に攻め入られ絶体絶命の状況に陥ったときリオーフェが泣きながら言ったのだ。「死なないで」と。幼き彼女の精一杯の言葉。嗚咽混じりに聞こえた声は酷く聞き取りにくくて最初は何を言っているのか分からなかったが、今でもその思いは変わらない。だから自分は敵軍の兵士となってでも生きる必要があったのだ。この場所で彼女が何時でも帰ってこられるように、自分が道しるべになるようにと思って。だが、彼女は違う道を歩んでしまったようだ。白き魔女として現れた王女は昔の名前を捨てリオーフェと名乗った。即ち全ての過去を捨て去ったと言うことだ。
 もはや今の彼女は覚えていないのかもしれない。自分と話した内容も、最後に約束した言葉も。それでも自分は頑なにその約束を守っているのだ。自分には彼女しかいない。彼女を守ることこそが自分の役目だと思っているからだ。レオン王子もそれ以上は聞いてはならないと感じ取っているのか聞いてこなかった。それは彼なりの優しさでもあったのかもしれない。辺りに沈黙が漂い重いな。と思ったときだった。レオンが意を決したように口を開いたのは。
「クロエル・フェイン。お前に聞きたいことがある」
「何でしょうか」
「白き魔女……いいや。今や亡くなったと思われていたルヴレイン王女の事だ」
「……」
 その言葉にクロエルは完全に口を閉ざす。その事について語れることと言ったら本当に少ししかない。この場をどうやって切り抜けようかと真剣に考え出すクロエル。だが、辺りには誰もおらず助けてくれそうもない。絶体絶命の危機をどうやって乗り切るべきかと真剣に考えるクロエルだった。


約束は今も心の中に。


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