この空を君も見ているのだろうか?強く、気高き姫君。本当は弱くて儚いのにそれを周りに悟られないように何時も必死で……それでいて一番護りたい人物だった。
辺りの景色が色褪せ、過去に戻っていく感覚がする。昔を思い出しているのだと思った。
その日も酷く寒い日だった。
灰色の空の下、一人の少女が飛び跳ねている。何度も何度も大地を蹴り上げ一生懸命空から舞ってくる雪を掴もうと躍起になっているのが目に見えて分かった。飛び跳ねるたびに白い髪の毛が宙に散らばる。小さな白い手が何度も雪を掴もうと必死で動くのが分かった。子どもが遊び回る光景に遠巻きに剣の練習をしていたクロエルは腕を止めて見入る。その光景は酷く脆く綺麗だった。まるで飛べない天使が天に焦がれ必死に飛ぼうとする光景にも見えた。遠巻きに年の離れた王子達が笑っているのが聞こえた。
のほほんとした雰囲気が溢れる空間。その光景にクロエルは優しく瞳を細めた。身体を動かしていたせいか何だか温かい。剣を鞘に戻すとリオーフェが頬を赤らめ近寄ってきた。寒いせいか耳まで真っ赤だ。寒くないですか?と心配げに聞くクロエルに対しリオーフェは両手をいっぱいに広げながら唇を尖らせた。
「クロエル、雪が掴めないわ」
その言葉に一瞬クロエルはキョトンとした後、苦笑したように笑みを零す。雪など掴めないものなのだ。
「姫さま、雪など掴めませんよ」
「何故?」
「掴んだとしても人の体温のせいで溶けてしまうのです」
「そういうものなの?」
「ええ、そういうものなのです」
実に不思議そうに辺りに舞っている雪を見つめながらリオーフェは今だ納得いかないと言わんばかりに唸った。ゴミのように空から振ってくる雪がどうしても掴みたくて仕方がないのだろう。
「ならば積もった雪を掴んではいかがですか?」
「私は空で舞っている雪が掴みたいの!」
クロエルの考えも呆気なくリオーフェに弾かれてしまう。降っている雪も積もっている雪も同じように感じるのだが彼女にとっては違うようだ。小さな彼女には何かこだわりがあるのだろう。アメジストの瞳を大きく見開きジッと見つめる姿は迚もかわいらしい。ふいにリオーフェがとんでもない事を言いだした。
「ねぇ、クロエル。この雪を掴んで頂戴!」
この雪と指さされたのは今だ降り続ける雪のことだ。
クロエルは困惑したように目の前にいる姫君を見つめる。彼女は今自分が話していた事を聞いていたのだろうか。クロエルは内心ため息をつきながらももう一度同じ事を説明しようとする。
「姫さま、先程申し上げたとおりあの雪は手では掴めません」
「それでもあの雪に私は触れてみたいわ」
「……」
我が儘というヤツなのだろうか、これは。普段そんな素振りを見せないリオーフェがこんな風に振る舞うのは初めてだった。困惑するクロエルに遠巻きでその様子を見ていた王子たちが再び笑う。この危機に対し彼等は助けてくれるわけでもなく、傍観する方を選んだようだ。クロエルは空から舞ってくる雪を見つめながらふと思い出したかのように呟いた。
「姫さま。何故雪が白いのか知っていますか?」
それは唐突な質問。リオーフェが不思議そうな表情を浮かべているのを見たクロエルは更に付け足す。
「この質問に正解できたら姫さまの望む雪を掴んであげましょう」
「むぅ……」
クロエルの言葉に真剣に考え出すリオーフェ。よっぽど宙を舞っている雪を掴みたいのだろう。だが、その質問の答えは一向に出てこないのか降参したように尋ねてきた。時間にして僅か三分。随分と諦めの早い姫さまだと笑った。そんなクロエルにリオーフェは睨み付ける。だが、かわいらしい瞳をつり上げてもそんなに迫力があるわけでもなく結局はクロエルに丸め込まれるのだ。
クロエルはそっと宙に手を翳すと雪を掴もうとする。掴んだ雪はあっという間に溶けてしまい水となった。
「この世界を創り終わった神様は最後に世界に色を付けたのです」
「色を?」
不思議そうに見上げてくるリオーフェにクロエルは「そうです」と頷く。
「色を付ける前の世界は白と黒しかない世界だったそうです。神様はまず海や空、山に色を付けました。世界が瞬く間に色付けされた瞬間です。ですが神様は一つ、大事な事を忘れていたのです」
「それって……」
「そうです。雪に色を付け忘れてしまった。だから雪だけ真っ白なままなのです」
「……」
「どうかしましたか、姫さま?」
急に黙りこくってしまった姫君にクロエルは覗き込む。その瞳に悲しみの色が宿ったに気が付いた。もう一度優しく名前を呼んであげるとリオーフェは自分の髪の毛を触りながら呟いた。
「……もしかして、この髪の毛も神様が色を付け忘れてしまったのかしら?」
柔らかな髪の毛が触るたびに揺れる。艶やかな白髪はどこか淋しげだった。だが、クロエルは真っ正面からリオーフェを覗き込んだ。アメジストの瞳が微かに揺らぐのを見逃さなかった。だが、同時に姫さまがお勉強をしっかりしていなかったことにがっかりする。こぼれ落ちたのはため息だった。
「姫さま、しっかり歴史のお勉強をなさいませんでしたね」
「え……?」
「姫さまの髪の毛は神様がお与えになったものです。我が国を創り上げた初代国王シャルウェイト・ルヴレイン様が最初に言われた言葉をお忘れですか?『この髪の色は神に愛されし者の印。神は私に髪に色を与えなかったが、それは愛故の行為。これは永遠に穢れなく白きままでいられるようにとこの色を与えて下さったのだ。恥じることはない。これは愛されし者の証なのだから』この国に生まれた者は誰でも最初に聞かされる言葉です。意味が分かりますか?姫さま」
「う、うん……」
「……あまり分かっていなそうですね」
歯切れの悪い声にクロエルは呆れたように呟く。本当に覚えていないようだ。この国で生まれた場合最初に聞かされる話だというのに。嘆かわしいと言わんばかりに首を振るうとリオーフェがむくれたように頬を膨らます。だが、自分の髪の色が神様に愛された印だと分かったことに安堵したのか優しく笑った。
その笑みが何時までも忘れられない。
「いつの間にかこの城の当主が治めた歴史の話になっちゃったわね」
「そうですが大切なことです。姫さまが勉強していないことがよくわかりましたし。これからは私も注意して勉強しているか見ていましょう」
「ちゃ、ちゃんと勉強しているよ、本当よ!……でも、為になる話をありがとうね!」
そんな風に笑う彼女が迚も大切で一番護りたい人だった。どんな時でも跪き、その命を護らなければならない存在。クロエルは嬉しそうにはにかむリオーフェに対し頭を項垂れた。これからもこの忠誠はずっと続くだろう。この命が尽きても従えるべき主なのだ。
「――全ては貴女の御心のままに」
今でもこの忠誠心は揺るがない。
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