真っ白な息が空に舞い上がっていった。冬空の快晴は酷く寒いが綺麗だ。雲一つない空は澄み切っている。もう一度息を吐いて見るとやはり白い息が出た。四季折々の風景を見せる城の自然も今では枯れ木と乾いた大地が続いている。この冬を越えればきっと綺麗な花を咲かせる事だろう。春が来れば植物たちの息吹を嫌でも感じ取れる。別に冬は嫌いじゃない。何にもなくて寒いがそれでも嫌いじゃなかった。もしかしたらそれは昔使えていた姫君が好きな季節だったせいもあるのかもしれない。
 彼女の存在は自分の中では絶対的存在だった。何よりも先に優先させろと生まれた時から言われてきたのだ。自分は彼女のために戦い彼女のために死ぬものだとずっと思っていた。だから城に敵が攻め込んできた時も自分は姫を護り見事自分の役目を果たし死ぬはずだった。だが、結果は残酷だ。自分はまだ生きていてしかも敵の国で護衛兵として働いているのだから。敵に情けを掛けられたことは否めない。それよりも小さいのに敵を物ともせず立ち向かう勇気を賞賛された。なぜそんな風にいわれるのか理解出来なかったのを思いだす。
 それは自分にとってごく当たり前のことだったからだ。自分は姫さまのために命を投げ出し捧げなくてはならない。この国で大切な姫君を――

「何ぼぅっとしてるんだよ」
 乾ききった大地で昔のことに想いを馳せていたクロエルにいきなり同期の仲間が絡んでくる。この国に来て初めて出来た良き親友でもある。些か周りが見えなくなり、お節介で煩いところが偶に傷だがまあ根本的に良い奴なのだということは判る。だから一緒に居るのだ。無言で空を見上げるクロエルに男は自分も見習い空を見上げる。
 蒼穹な空は全てを飲み込んでしまいそうだった。
「もうすっかり冬だな」
「嗚呼」
「この前みたいに病が流行らなければ良いが」
「……そうだな」
 肯定する事しか出来ない。クロエルは取り乱したリオーフェを思いだし心が痛む。あの後彼女は無事だったのだろうか?本当は強そうでいて実は繊細な方なのだ。優しくて、それでいて悩みを全て抱え込んでしまう。だから彼女はあんなにも強いと勘違いされてしまうのだ。ずっと一緒に居るクロエルは知っている。彼女の事を誰よりも一番理解しているつもりだった。だが今はどうなのだろうか?ずっと離れ離れになっていて彼女がどんな風に変化してしまったのかさえわからない。でも、昔のように笑わなくなったのは確かだった。
 浮かべられた笑みは全て微笑みとは言い難い物で義務的に作られたもののように感じられた。もう昔のように彼女は微笑んでくれないのだろうか。遠くを見据えながらそんな事を想った時だった。
「クロエル・フェイン」
「!!っぁ……これはレオン王子!!」
 驚いたように同僚は声を張りあげ、背筋を伸ばし姿勢を正した。それもそのはずだ。敵には一切容赦がない、あの『氷の王子』と名高き冷酷な王子が此処に来ているのだから。剣の腕前は一流と聞いたことがある。クロエルは一礼すると真っ直ぐ王子を見据えた。彼はリオーフェを泣かせた張本人だ。今すぐにでも斬り殺したい衝動に駆られるがそんな事をしても無意味だと分かっているので何とか理性を制御させる。穢れなき真っ直ぐな瞳がレオンを貫いた。
「レオン王子このような場所まで何様でしょうか」
「一戦御手合わせをと思ってな」
 スッと抜かれる剣にクロエルは瞳を細める。一般兵と王子が手合わせをする事はめったにないというのに。珍しいというより嫌な予感を感じたのか同僚が慌てたように二人の顔色を見る。何だか情けない男だ。裏返った声で「ク、クロエル!」と叫んでいるのが聞こえた。だがクロエルの関心は全て目の前に居る王子に向けられている。それ以外の者は全てどうでも良く見えた。腰に差してある剣を抜くとクロエルは構えた。
「此処で始めても?」
「構わない。戦いに場所など関係ない」
 御尤も。レオンの言葉にクロエルは同意しながら剣先を向けた。戦うというからには負けるわけにはいかない。ましてやリオーフェを泣かしたことを忘れているわけではない。今でも鮮明に覚えているのだから。
 向こうもリオーフェのことを聞きに来たのだろう。だが、王子と言う特権だけで口を開くほど莫迦な男では無いと理解しているらしい。その通りだ。自分は其処まで愚かでも優しくもない。むしろこの男と一戦やりあってみたかったのだ。クロエルは無機質な瞳を向けると唇をつり上げる。毎日剣だけのために鍛えてきた体は十分強くなっていた。昔のように弱くはない。
 兵士の中でもトップクラスの実力を誇るクロエルだが、敵軍出身の生まれと言う理由だけで只の一般兵としての地位が与えられていたのだ。負ける気はしない。
 そのまま剣を滑らせるように振るうとレオンは無駄のない動きで剣を受け止める。本当に剣術が強いもの同士が闘いあうとその戦いは勇ましいものではなく綺麗な舞を踊っているように見えるそうだ。もしかしたら今の戦いがそうなのかもしれない。一切無駄のない洗礼された動作を繰り返す二人はまさに真剣そのものなのだが、他人が入りきれない領域が存在する。二人の戦いを間近で見ていた同僚は息をする事すら忘れその光景に魅入った。
 金属が触れ合うたびに火花が散り剣を振るっている腕が震える。一瞬でも隙を見せれば負けるのは必然だ。負けたくない。負けられない。その強い意志だけでつき動かされる二人だったが、終わりは以外にも呆気なく訪れた。一瞬クロエルの視線が逸らされたのだ。それは戦闘中では決してありえない動作。金属音が響くと同時にクロエルの剣は宙を舞離れた地面に刺さった。敗北。辺りがシンと静まり返る中、クロエルは再び空を見上げる。
 いつの間にか二人の戦いを見に来ていた他の兵士たちもつられて空を見上げた。いつの間にか曇ってしまった空からは真っ白な綿毛のようで綺麗な雪が舞ってくる。初雪だ。
 クロエルはそっと手を伸ばすと雪を掴もうとする。何時だっただろうか。姫さまが雪を掴もうともがいている姿を見て笑ったのは。
 遥か昔の記憶はふとした瞬間に思いだされクロエルの心に暖かい波紋を広げていった。


君もこの雪を見ているのだろうか?


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