大きな廊下を何度も通り、大きな扉を何度くぐったことだろうか。一つの大きな部屋に案内された時リオーフェは眉を顰めた。大きな部屋の中央には巨大なベッドが一つポツンと置かれている。白いレースのカーテンが引いてあるため、ベッドの中は見えずらいが、其処にいるのだろう。そのままリオーフェはベッドに近づくと容赦なくカーテンを開く。後ろから王様の怒鳴り声が響いたが気にした様子もなくリオーフェはじっくりと視線を向けた。真っ白な肌は赤く染まり息が乱れている。相当熱が出ているのに身体が震えていた。寒いのだろう。額に手をあてがい温度をどのぐらいか確かめリオーフェはすぐに手を引いた。そのままリオーフェは後ろにいる国王に告げる。
「近くに部屋を用意して下さい。大釜と、それから今から言う薬草をすぐその部屋に用意して下さい。このままだと命に関わります」
「!」
すぐに出て行けと言わんばかりに国王を睨み付けると追い出す。浅い息をしているルーベンツにリオーフェは困ったようにため息をついた。後ろからゆっくりと近づいてくるとエカテリーナは微笑む。
「で、病名は分かったの?」
「……はい。数百年前に絶滅したと言われた病原菌です。五百年前はこの風邪のせいで約二万人者人々が死んだと聞きました。医者は匙を投げ、国民の殆どは病気と戦いはするものの誰一人助けることは出来なかったそうです。でも、そんな時一人の女性がこの王国に現れた……」
「それが嘗ての、初代白き魔女。ということね」
「初代白き魔女は誰彼構うことなく人を助けたそうです。それが初代白き魔女でもあり、私たちにもその意思は受け継がれている」
「……」
「どんなに憎い相手でも私は助けなければならないのです。それが、初代白き魔女の決めた規則でもあり、71代目白き魔女の、望みですから」
悲しげに細められた瞳にエカテリーナは小さく首を振るう。その姿はあまりにも痛々しくて抱きしめそうになるのを堪えた。人々を助けるために彼女はその小さな身体でがんばるのだ。
「わたくしに出来ることはある?」
「大丈夫です。此は私の仕事ですから。と、言いたいところですが……少し、薬草混ぜるのとか手伝ってもらえますか?」
「ええ、喜んで」
コロコロ笑うエカテリーナにリオーフェは安堵したように胸をなで下ろした。此で一安心だ。この王子の分だけではなく他の市民の分も薬草も作っておこうと思っていたところだ一人では到底間に合いそうもない。リオーフェはそのまま用意された部屋に移ると大釜に火を掛け煮詰め始める。薬草を丹念にすりつぶし入れていく。グツグツと煮込む薬の量は半端ではなく、煙も凄まじく上がる。窓を開けても部屋の中は薬の臭いで充満し熱かった。今が冬の一歩手前だと言うことを忘れてしまいそうなほどだ。マントを被っているせいかもしれないが此だけは外せない。
もし王国の人間がマントを被っていないときに入ってこられたらと思うとゾッとするのだ。この姿だけは見られたくない。その一身でリオーフェは被っていた。何日経ったのだろうか。二日ほどじっくり煮込んだ薬はどろりとしていて人が飲める薬ではない。飲めたとしてもこれは不味いだろう。これを更に濾過して色を透明にし飲み易いようにしなければ誰も飲みたがらないだろう。
真剣作業にリオーフェは息をするのも忘れ見つめる。濾過されていく薬を見つめている最中だった。ふいに設置された一つのドアが開く。ギィと音を立てて開く音にリオーフェは薬を流し込むのを止めて向き直った。エカテリーナ様の気配ではない。だが、この感じは……知っている者のように感じたリオーフェは視線の先に立っていた人物に息を飲み込む。微かに手が震えた。出会いは何時だって唐突だ。本人が望まなくても出会ってしまう。今がその時なのだろうか。動揺を悟られないように薬を床に置いたときだった。懐かしい声音が辺りにふんわりと響く。
優しくて、それでいて低い声。
「白き、魔女になられていたのですね」
「……何のことでしょうか」
「惚けないで下さい。私です、クロエルです」
小さな声だが確かにリオーフェの心にその声は響いてきた。運悪く今は薬草を取りに行ってもらっているためエカテリーナ様は居ない。沈黙するリオーフェを目の前に一兵士であるクロエルはこの前に攻めるようなことはせず、前回の無礼を詫びた。
「この間はすみません。色々あったというのにそれすら考えずに迫ってしまって」
「……」
「今は、幸せですか」
まるで縋るような視線にリオーフェは正直戸惑った。幸せだと言わなければ彼は後悔するだろう。あの時死んでも良いから護らなかったのだと。そのぐらいリオーフェとて分かっている。だが、嘘はつきたくない。一瞬困ったように眉を寄せたが笑った。ゆっくりとフードに手を掛けると外す。これは彼女なりの誠意の印だった。彼が真剣に向き合うというので在れば自分も真剣に向き合わなければならない。外れたフードから白い髪の毛がこぼれ落ちる。その姿にクロエルが息を飲むのが分かった。リオーフェは苦笑しながら呟く。
「私は幸せです。人並みの幸せは手に入れることが出来ましたから。それと今の私はリオーフェです。リオーフェと呼んで下さいクロエル」
「リオーフェですか?」
「もう、あの頃の私は死にましたから」
「……」
その言葉にクロエルは黙りこくる。確かに彼女の言うことは正しい。いや、間違ってなど居ないのだ。彼女は既に一度死んだ身だ。それはクロエルも頷ける。だが、彼女の口からそんな言葉は聞きたくなかった。出来るのならば、聞きたくなかったのだ。そんなクロエルにフィオーレは苦笑しながら首を傾げる。こんなに懐かしい気持ちになったのは久しぶりだ。
「貴方が無事に生きていてくれて私は嬉しい」
「……」
「貴方は、今……幸せ?」
「……はい」
それは噛みしめるような言葉。幸せな筈など無い。自国を滅ぼされ、その敵の国で兵士として雇われているのだから。何故そうなったのかは分からないが、生きていることに代わりはない。生きているだけで人は十分幸せなのだ。まだ生きているのだから。
世界は残酷だ。でも、止まることなく動いている。それは定められた運命なのだ。世界が生まれたときの運命。
貴方の幸せは私の幸せです。
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