此処は何時でも冬だ。木枯らしが吹くような冷たい空気、肌は震え吐く息は何処までも白い。外の世界ではきっと冬だろう。そんなことを思いながらリオーフェは瞳を閉じた。マフラーが風に靡き、はためく。アメジストの瞳はどこまでも透き通っていた。
 リオーフェはこの世界が大嫌いだった。この秩序乱れた世界に生きているのが嫌だった。空気を吸うのすら躊躇ってしまいたかった。でも、今はそうは思わない。確かに今の私は必要とされているのだ。この世界に。少なくとも72代目白き魔女としてこの世界に必要とされているのだ。かつての私は存在すら否定された。だが、今は違う。
「雪が、綺麗……」
 ヒラヒラと舞い散る雪は白い妖精が舞を踊るように綺麗で美しい。今年の冬は風邪や病気が流行りそうだとリオーフェはマフラーに顔を埋めながら家の中に入った。暖炉の炎は消えることなくパチパチと燃えている。そのまま肩に積もった雪を叩き落とし、マフラーを外した時、ふとした違和感に気づいた。外に出るまでは無かった違和感。いつの間にかエカテリーナが優雅な仕草で紅茶を啜っていたのだ。何時も愛用している薔薇の絵が綺麗に描かれたティーカップを持ち出し、紅茶を飲んでいる姿は何処までも綺麗で美しいが同時に呆れも込み上げてくる。一体何時、何処からこの部屋に入ったのだ。
 先程まで玄関の前で雪が散る様子を見ていたので玄関から入れるはずがない。だが、他の窓はすべて閉ざされており、開かれた形跡もない。微かに眉を顰めたリオーフェにエカテリーナは空になったティーカップを傾けながらねだるように甘い声を出した。
「遅いわリオーフェ。先に部屋で暖めさせてもらったけど……今年は寒いわね、くしゅん!……温かい紅茶でも入れて頂戴」
 小さくくしゃみをしながら肩を震わすエカテリーナ。肩には羽毛がふんだんに使われたショールまで掛けてあるというのにこの寒がりよう。リオーフェは無言で額に手をあてがうと、がっくりと肩を落とす。風邪に掛かったわけではなさそうだ。だとしたら理由はただ一つ。
「風邪に掛かり始めていますよ、気をつけて下さい」
 今年の風邪は厄介そうですから。そう言いながらリオーフェは棚の奥にしまってある薬を探りながら出した。微妙な色合いをしていてまさに苦い薬そのものだが、苦い薬ほど風邪にはよく効くというものだ。なるべくにがみを感じさせないように他の飲み物と共に混ぜる。それでもまだ不味そうだ。
「さあ女は度胸です。一気に飲むことを私はお勧めします」
「つまりは不味いってことでしょう。まあいいわ。これで今年の流行の風邪にかからないなら安いものよ」
 エカテリーナは苦そうな薬を一気飲みする。だが、意外なことにも外見にそぐわず味はそこまで不味くはなかった。あっという間に空っぽになったコップを回収すると今度は口直しに入れたての紅茶を差し出す。口直しのためか普段より多く入っている砂糖が口の中に広がる苦味を取り除いてくれる。コトリ、とソースに置くとエカテリーナは世間話をするように薬を片付けているリオーフェを無理やり椅子に座らせると喋りだした。
「今年の風邪はほんとぉに大変なのよ!!だって、あれよ。都市では第一皇子のルーベンツも風邪に掛かったとかで色々な医者に見せているけど、誰もその風邪を治せないらしいわよ」
「そうですか」
「まあ、私たち嫌われ者の魔女には関係ない話だけどでも、民が苦しんでいるのはさすがにほって置くことが出来ないのよね〜」
「だから何なのですか、エカテリーナ様」
 言いたいことがあるならはっきりおっしゃってください。リオーフェの言葉にエカテリーナはにんまり笑った後ぐいっと体を乗り出した。恐ろしいほど綺麗な笑み。だが、彼女がこんな笑みを浮かべているときはろくなことがない事をリオーフェは知っていた。それでも聞いてしまうのが自分の悲しい定め。
 結局この方の言うことには逆らえないのだ。
「今、都市では皇子だけじゃなくたくさんの民が苦しんでいる。それを貴女が救うのよ、リオーフェ。皇子なんかどうでも良いから民だけは救ってあげて。あなたなら簡単でしょう?」
 思いっきり無謀なことをせがまれ、リオーフェは困ったように眉を寄せる。確かに民を助けることは白き魔女の役目だが……何せ今年の流行している病がどんなものなのか今一分からない。それにその風邪によって作る薬が違うのだ。どう考えても無理と言う言葉しか思い浮かばない。そんなときだった。雪の積もった窓ガラスを突く梟の姿があった。嘴が触れるたびにコツン、コツンと音を響かせる。
 この森では見たことがない白い梟にいやな予感を感じながら窓を開ける。冷たい風が吹き込むと共に梟が家の中に入ってきた。真っ白な綺麗な毛並みをした梟だ。梟は羽に付いた雪を振り落とすと、背負ってきた手紙を差し出す。綺麗な封筒に包まれた手紙は雪や雨で濡れないように特殊な加工が施されていた。宛名はない。だが、リオーフェはこの封筒をどこかで見たことがあった。後ろに止めてある蝋燭の蝋で塗り固められた印に見覚えがある。思わず零れ落ちるため息。これは王国からの手紙だ。それも早急に用を足さねばならぬようである。面倒さと、国王に謁見したくないという気持ちがせめぎあい、心に一つの波紋をもたらした。どうやら世界は私を必要としているらしい。それが国王であろうと、白き魔女を呼ぶのだから私は向かわねばならない。
「本当、身勝手な人たちね。自分たちで迫害した私たちに助けを乞うなんて本当に莫迦な人たち」
 エカテリーナは優美な笑みを浮かべた。だが、可憐な唇から漏れる言葉は棘のように鋭い。ソースにコトリとティーカップを置くとかわいらしく首を傾げる。蒼い瞳が楽しいと言わんばかりに細められた。つくづく面白いことには目がないお方である。
「で、どうするの?王国は大嫌いな魔女の力を借りるまでに衰弱しきっている。滅ぼすなら今のうちよ?」
 滅ぼす?何を――あの王国を?嘗て自分の国を滅ぼした国を自らの手で滅ぼせと言うのかエカテリーナ様は。彼女は分かっているのだ。自分がどんな風に言われようとも王国を助けに行くことを。白い手に映える真っ赤な爪がそっとリオーフェの頬を優しく包んだ。蒼い瞳が何処までも慈愛に満ちた瞳で見据える。彼女は時折そういう瞳を見せる。それは優しさでもあり、恐怖でもあった。この瞳で見られると抵抗する気力が失せるのだから。エカテリーナはそのままリオーフェを抱きすくめると囁く。甘い香りがふんわりと漂った。
「かわいそうな子。憎き敵を助けようとするなんて……その心に宿した復讐の炎は今だ消えていないのに、それでも助けずにいられない。何故なら今の貴女は――72代目白き魔女だから」
 貴女に、神の加護がありますように。そう呟くエカテリーナは聖母のように見えた。思わず泣きそうになるのを堪え、顔を俯かせる。彼女の顔を見ていたら泣いてしまいそうだったから。無礼に当たると思っても止めることが出来なかった。大丈夫だ。自分は一人じゃない。今はこんなにも心強い人がいてくれる。
「大丈夫。私も一緒に行くわ。黒き魔女として」
 それは動き出した運命を揺るがすことになろうとも私は諦めない。助けを求める人がいるのならば助けなければならないのだから。


また一つ、面倒ごとが舞い込んだ。


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