ドラゴンと言えば誰もが架空の生物として認識しているはずだ。それはリオーフェとて同じだ。まさか生まれて十五年、ドラゴンがこの世に存在するなど考えもしていなかった。勿論今、目の前に存在しなければそんな物の存在信じるはずがない。だが、目の前にそうして存在しているのだ。
 よく見ていた古文書ではドラゴンとは古代から存在していた生物と書かれていた。魔女が存在する今、ドラゴンも歴史の闇に埋もれていただけで存在し続けていたのかも知れない。視界に映ったドラゴンを見上げながらリオーフェは何故自分を助けたのか考えた。こんな自分など助ける必要があったのだろうか。見殺しになど幾らでも出来たはずだ。でもこのドラゴンはこの私を助ける道を選んだ。それが不思議だった。
「どうして私を助けたの?」
 ただの小娘なのに。そう呟きながら自分の手に握られている薬草を見つめる。まさかこんな山奥に住んでいるドラゴンが自分の正体を知っているとは思わなかった。そんなリオーフェの問いにドラゴンはふん、と鼻で笑うと大きな口を開け、しわがれた声を発した。黄色ばんだ鋭い刃がチラチラ見える。ドラゴンが息をする度に熱風のような熱い息がリオーフェをすり抜けた。こんなに離れていてもこんなに熱い風が吹いてくるとは……近づいたら死んでしまうに違いない。
「ドラゴンはなんでも知っているぞ。お前は72代目の白き魔女だろう」
「……知っていて助けたんですか」
「でなければ人間など助けるには値しない存在だからな」
 お前が白き魔女じゃなければ今頃死んでいただろう。と、キッパリ告げるドラゴンにリオーフェは体が強張るのがわかった。自分が白き魔女じゃなかったら助けないとこのドラゴンは言った。つまりは白き魔女でもある自分に用があると言うことだ。何のようなのだろうか。と、じっと見上げればドラゴンは面白そうに瞳を細めた。
「お前は賢い子だ。さすがサーシャが認めたことだけはある。私の姿を見て驚かなかった人間はお前とサーシャだけだ」
 その言葉に初めてリオーフェの顔に大きな変化が現れた。明らかに信じられない物を見るかのように大きく見開かれる。その光景はまるで彼女を初めて生き生きとした人間に見させてくれた。漸く人間らしい表情を見せたリオーフェにドラゴンは満足そうに笑う。こうでなければ話しがいが無いという物だ。
「サーシャの事は実に残念だと思う。だが、人間の寿命は実に短いからな。我々とは違う」
「……」
「それぐらいわかっておろう。お前も……もう少し早く会っていればこの薬を渡せたのだかな」
「……これは……?」
 ふいに飛んできた小さな小瓶を受け取るとリオーフェは首を傾げた。一見、普通の薬だがその名前を聞いた瞬間慌てふためいてしまった。こんなに驚いたのは久しぶりだ。まさかあの伝説とも言われた薬をいとも簡単に放り投げられ渡されたのだから。何とか落とさなかったことに安堵すると、もう一度薬を見つめる。アメジストの瞳が珍しくキラキラとした色を宿した。
 伝説の妙薬と呼ばれるこの薬は老婆が持っていた古文書に詳しく書いてあった。何でも作るのは不可能に近いらしい。それは材料の中にドラゴンの涙が含まれるからだろう。だが、目の前に完璧に作り上げられた妙薬があるのだ。興味を表さないはずがない。もしかしたら一生お目にかかれないかも知れない薬をその手にすることが出来たのだから。歓喜のあまり声が出ないリオーフェにドラゴンは懐かしむかのような声を出した。
「その薬を作ったのは先代の白き魔女、サーシャだ。奴は実に優秀な魔女だったな。心の在処という物をよく心得ておる。今回、黄昏の妙薬を作るためにここまでやって来たのだろう?サーシャもかつてはそうだった」
 懐かしいな。そう呟くドラゴンにリオーフェは視線をあげる。そんなに老婆とこのドラゴンは仲が良かったのだろうか。久方ぶりに他者からその名前を聞き、不思議な感覚に陥る。誰もが老婆のことを白き魔女と呼んでいた。そのため本当の名前を忘れてしまうのではないかと何度も思ったものだ。だが、老婆は優しげに微笑むだけで何も言わなかった。寧ろそれが当たり前だと物語っていた。自分は白き魔女なのだから。
 でも、リオーフェはそれが酷く恐ろしいことだと思った。なぜならば名前はその者の存在意義を表す唯一の方法だ。その名前を忘れてしまえば自分はこの世に存在しないことになってしまう。この世に自分という存在が認められなくなってしまう。それは怖い、怖すぎる。一度名前を捨てたときに覚悟は出来たはずなのにやはり改めて考えると怖いと思うのだ。いくら名前や過去を忘れても誰かが自分を覚えていて嫌なことを思い出させる。この前の王国パーティーもそうだった。クロエルは私の正体を思い出させようと必死だった。彼は何も変わらない。でも、自分は徐々に変わっていく。変わらずにはいられない。どうしてだろう。どうしてこんなに冷たい人間に成り下がってしまったのだろう。
 あんなに一緒だった老婆の最後を見届けても涙は出なかった。寧ろ心がカラカラにひからびているような感じがした。怖い、怖い、コワイ……自分は忘れてはいけないのだ。自分が魔女だということを。
 今は自分が白き魔女なのだから。

私を忘れないで、覚えていて


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