ピンク色の花びらがヒラヒラ舞い散っては消えていく。そこはいつ見ても綺麗な場所だった。自分が住んでいる所とは大違いだ。春の息吹を感じさせる風景は少なからず荒れていたリオーフェの心を穏やかにさせた。誰もが死なぬ平和な世の中であったならどれほどいいことか。それを望めぬから自分が今こうしてがんばっているのだ。
片手に古びた地図を持ちながらリオーフェは人の手が加えられていない登山道みたく、でこぼことした道を歩いていく。次第に人のけはいが感じられぬ山の中に入っていくのがわかった。ここに自分が求めていた物がある場所なのだろうか?辺りを見渡すがそれらしき薬草は見つからない。
頭を垂れた様に真っ赤な赤い花を咲かせるという首狩草。一歩踏み出すたびに疲労が困憊していく。だが、倒れるわけにはいかなかった。自分は見つけて作り出さなければならないのだ。もう一度良く地図を見直しリオーフェは首を小さく傾げる。確かにこの辺りにあるはずなのだが。
墓地らしき物が見つからず、眉を顰める。普通墓地の側に咲いているはずなのだが――
ふいに近くに崖があることに気づきリオーフェは落ちないように駆け寄る。そっと下を覗いてみればそこには一輪の赤い花が咲いていた。首狩草だ。それもかなり立派と言える部類の花だろう。他には無いか探すが見つからない。どうやらこれだけのようである。どうしようか迷った末、リオーフェはゆっくりと崖を降りることにした。滑らないように慎重に足をかけていく。その顔はいつもに比べ、引きつっている印象を感じさせた。
必死だった。ここで足を滑らせれば終わりだ。まるで何もかも飲み込んでしまう大きな口のようだ。どんなに頑丈な人間でもここから落ちたら一溜まりもない。地上から数メートル下の崖に漸くたどり着いたリオーフェは必死で腕を伸ばした。何度か挑戦し、ようやくその手が孤高の如く凛と咲き誇っている花を初めて掴んだ。その瞬間安堵感が表情に浮かび上がった。
これで薬草が作れる。その安心感からか、リオーフェは油断したのかも知れない。
「――え?」
リオーフェは一瞬理解できないと言わんばかりに目を見開いた。花を掴んだ逆の手が崖から滑り落ちる。体は重力に逆らうことなくそのまま奈落の底へと落下していく。それはカミューラに後頭部を強打されたときの恐怖とは又別物だった。ここから落ちたら本当に死んでしまう。だが、それを止める術をリオーフェは知らない。
体は止まることなく更に加速して地面に近づいていく。死ぬのか。ぼんやりとした思考の中、リオーフェはふと思った。まるで死が近づくにつれ色んなことを思い出される。遠のく意識と共にリオーフェは瞳を閉じる。
閉じたとき、赤い、不思議な物を見たのはきっと――気のせいだろう。
それは特有の浮遊勘にも似ていた。ふわふわ揺れるような感覚。まるで体が宙に浮いているような感覚がする。それは母親に抱かれている時の安堵感にも似ていた。どの位そうして居たのだろうか?リオーフェは薄っすらと瞼を開いた。視界に広がったのは天国のように一面広がるお花畑でもなければ、地獄のように熱いと言われる場所でもなかった。
そこは岩がごつごつした空気がひんやりした場所だった。どこかの洞窟かと思い、リオーフェは辺りを見渡す。ふいに手の中にしっかり握りこんである。首狩草に気付きリオーフェははっとした。自分はこの薬草を取ろうとして崖を降りたはいいが、バランスを崩し崖のそこへと落ちたはずだ。だが、此処は何処だろう。崖の底では無いといいきれる自信があった。こんなにひんやりとした空気を感じるのは標高の高い場所にいるからだ。
このままこんな場所に立ちつくしているわけにもいかず、リオーフェは立ち上がると歩き始めた。足元がごつごつしているせいで何度も足を引っ掛けて転ぶ。だが、それでもリオーフェは立ち上がり先へ進んだ。此処が何処だか確認しなければならなかたからだ。薄暗い洞窟の中で、こうして前に進めるのは光コケのおかげだろう。湿気と冷たい場所に生息するこのコケは暗闇の中で唯一の灯火となる存在でもあった。コケを目印にしながら歩いて行くとふいにゴォォォォォと不思議な音が聞こえてきた。ふいにリオーフェはもう一度辺りを見渡す。可笑しい……光コケが無いのになんで此処はこんなに明るいのだろうか。気温が微かに上がったのも気になった。普通洞窟と言えば奥の方に行くほど寒くなるというのに此処はまるで春のように暖かい。そして光コケが生えていないのに明るい。
――この奥に何かいる。それはもはや確信だった。それも自分が知る由も無いほどの動物に違いない。怖い反面、リオーフェはある疑問にたどり着いた。
もしかしたら死ぬ定めだった自分を助けてくれたのはこの奥にいる物なのではないかと。普通崖から落ちて生きていられるほうが不思議だ。それに此処は崖の下で無いとしたら誰かが助けてくれたという事になる。リオーフェは震える足に鞭を打つかのように足を進める。奥は酷く広い造りになっていた。 見たことが無い大きさにリオーフェは目を見張る。ふいに奥に居る物にリオーフェは気付いた。
アメジストの瞳が大きく見開かれ、ありえない物を見たかのように一歩引き下がる。まるで自分を見定める様にそれはそこに居た。まさか死ぬはずだった自分を助けてくれたのが伝説上の生物だったとは驚きだ。リオーフェは塔のように聳え立つ存在を見上げた。赤い鱗が嫌でも視界に映る。あまりの大きさに見劣りしてしまうほどだ。リオーフェは人間に接するかのように同じように喋った。
「貴方が私を助けてくれたんですか?」
「……ああ」
低い声がその場に響き渡る。それは生まれてはじめて伝説の生物と思っていたドラゴンと出会って始めて交わした会話だった。
伝説のドラゴンと出会っちゃいました
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