黄昏の妙薬――それを口にした者はどんな者でも健康になると言われている。それが死にかけの病人でも、死の床に伏している者でさえもこの『黄昏の妙薬』の前では無意味とも言えよう。つまり死者でなければどんな者でもたちまち元気に出来る。そう言う薬なのだ。『黄昏の妙薬』とは……
だが、同時に薬を作るリスクがあまりにも高すぎる。まずそれを作るには様々な材料が必要だ。それもとても手にはいらなそうな物ばかりが使用される。エカテリーナに言われた期限はちょうど今から一ヶ月だった。それは作る歳月がそれだけ掛かるからではない。材料を集めるのがそれだけ大変だということなのだ。
材料リストを確認しながらリオーフェは唸る。やはりどれもこれも黄昏の妙薬を作るには足りなさすぎる。特に首無し草が無かった。首無し草とは一定の墓地に咲き乱れる薬草なのだが、これを取りに行くのが非常に大変なのだ。下手をすれば自分の命を落とすかもしれない。
だが、今回はそうも言っていられないのだ。自分が72代目の白き魔女と認めてもらうにはそれしかないのだから。
こうなったら時間が惜しいと言わんばかりに立ち上がるリオーフェ。簡単な旅準備を始めると家の戸締まりをはじめた。これからしばしの間、家を留守にしなければならない。たぶんこんな家に泥棒が入るとは思えないが念のため一応だ。
鞄の中にレシピを入れると家を出るリオーフェ。彼女の魔女としての試練は始まったばかりなのだ。
このリオーフェの住んでいる森はとてつもなく広い。そして不思議な森であることには変わりなかった。この森には四季が詰め込まれており、その場所によって四季が全く違うのだ。
今、リオーフェがいる場所はとてつもなく寒い冬の季節が支配する森だった。数十センチもの雪が既に大地に降り積もっている。白銀に広がる世界は呼吸するのを忘れるほど綺麗だが、同時に寒い。自分が住んでいた場所とは比べ物にならない寒さにリオーフェはよりいっそうマフラーの中に顔を埋めた。
先程から吹雪が物凄い勢いで当たって来て痛いったりゃありゃしない。閉じかけていた瞳をうっすらと開けばあまりの寒さに再びリオーフェは瞳を閉じた。だが、こんな土地にでも薬草はあるというもので、この土地でしか手に入らない薬草が手に入ったりするなど嬉しいことには変わりない。
寒さで辛い半分、珍しい薬草が見つかった嬉しさで複雑な様子がありありと伝わってくるのだった。
どのぐらい歩き続けてきたのだろうか。寒さのあまり足が悴んで来たのがわかる。零れたため息は確認する前にかき消えてしまった。アメジストの瞳がふいに細められる。地図ではそろそろ冬を抜ける辺りのはずなのだが……
ふいに暖かな風と共に柔らかい風が吹き込み驚いたようにリオーフェは視線をあげた。
そこはまさに別の世界とも行って良いだろう。こんなに気候が急激に変化するのも珍しいというものだ。一瞬にして変わった光景に見入るリオーフェ。そこは春の息吹を感じさせるほど温かく、優しい匂いを感じさせた。懐かしさのあまり瞳を細める。まるでかつて過ごしていた城からよく見た光景に酷似していた。
「綺麗……」
口からぽろりと感想がこぼれ落ちる。
今では雪のかわりにピンク色の花びらがヒラヒラと舞い上がっては消えていく。まるで桜吹雪のようだ。立ち尽くしたように見上げるリオーフェ。風に揺られマフラーがユラユラ揺れる。
冬の四季を抜けたのならそろそろ目的の首無し草があるはずだ。そう思い先に進もうとした瞬間激しい頭痛が頭を襲った。視界が暗転しその場に倒れ込む。あまりの痛さに悶絶していると、ふいに頭の上から蛙のような潰した声が響き渡った。
くぐもったような甲高い声。その声にリオーフェは聞き覚えがあった。
「カミューラ・ケニストン……さ、ま?」
咄嗟に出した声に声の主は感心したように更に甲高い笑い声をあげた。
「おやおや、今の攻撃を喰らってまだ喋れるなんて元気な小娘だねぇ」
といっても痛さのあまり立ち上がれないんじゃしょうがないか。ケッケッケッ!
不気味に響き渡る声音にリオーフェは頭の痛みとは別の意味で顔を顰めた。本当に悪趣味なことをしてくれると言うものだ。大方、黄昏の妙薬を作らせるのを阻止しようと言う魂胆なのだろう。だが……
「あんたを殺すのは魔女の掟の中では御法度だからね。頭を殴らせて気絶させようと思ったんだけど……相当の石頭のようだねぇ」
妙な所で感心するカミューラに殺意を覚えるリオーフェ。だんだん意識が遠くなるのがわかる。必死で歯を食いしばるが出血の量が多いのか、視界がだんだんぼやけて見えなくなってくる。完全にブラックアウトする前にまたあの嫌味な声が頭の上から響いてきた。
「ゆっくりとお休み、リオーフェ。死なない程度にね」
まるで赤子を寝かしつけるかのように囁く声。ねっとりとした声に思わずリオーフェは気持ち悪そうに顔を顰める。頭がガンガンする。視界が何も映さなくなる。意識が――遠くなる。
そうしてリオーフェの意識は完全にブラックアウトしたのであった。
嗚呼、あの憎たらしい雨蛙を潰したい!
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