時とは早いものだと実感したときには既に遅く、後悔しきれないほどの念に襲われるときがある。それが今なのだろうとリオーフェは思った。
エカテリーナの勢いに負け、渋々ドレスに着替えたリオーフェの機嫌は最高に悪かった。その理由はたった一つだ。着替えた途端、目にも止まらぬ速さで椅子に無理やり座らされたとおもったら、約一時間にも渡る化粧やお飾りが始まったのだ。その長いこと長いこと。
女性とはこうも着飾るために時間を掛けるものかと内心うんざりしながらリオーフェは思った。自分も女だが、化粧品やそう言った部類に全く興味ない上この始末。あからさまに自分には似合わないと思うのだ。目の前で自分を睨み付けながら考え込むエカテリーナを確認しながら小さくため息をつく。一体なんだというのだ。
「……エカテリーナ様」
「ちょっと動かないで!今大事なところだから」
「……」
何が一体大事なのか全くわからないが、動かないでと言われたからには動かないほうがいいのだろう。人形のようにピクリとも動かなくなった彼女にエカテリーナはまだ唸っていたが、漸く納得したのか等身大の鏡を転がしながら持ってきた。そして自分の前に立たせると不適な笑みを浮かべる。
「ほら、確認しなさい。中々かわいい娘っ子になったでしょう?」
まるで何処かのお姫様みたい。嗚呼、間違えた。元々お姫さまだったんですもの。ごめんなさいね?そう全く謝っている様な感じがしない口調で呟くエカテリーナにあからさまに顔を顰めた。鏡に映った自分はまるで別人だった。いや、比喩などではなく本当に別人だったのだ。ただ瞳の色がアメジストのままで変わらないだけだ。髪の色など普段の色からは全く想像できない色に染め上げられていた。白色に近いとも言える銀色の髪は艶やかな黒髪に変わり、綺麗な巻き毛になっていた。睫毛もしっかり上げられ人形のようにカールしている。顔全体には薄い化粧が施されており、唇は薄い桜色の紅が塗られていた。
その手際の良さに内心驚きながらも、皮肉を込めつつ呟く。
「いつの間に髪の毛の色まで変えたんですか」
「ふふふ、凄いでしょう。これこそまさに早業ってものよ。貴女が72代目の白き魔女だってばれるのはあまりよくないわ。リオーフェとしても、私としてもね」
だからちょっと髪の毛の色を変えさせてもらったけど、大丈夫よ。髪の毛の方は洗えばちゃんと元の色に戻るんだし。そう言い切るエカテリーナに別にそんな事は心配していません。と憮然とした様子で答えた。どうやらそんな事はどうでも良かったらしい。なら彼女は何をそんなに心配しているのだろうか。不思議そうに見つめればリオーフェは言い難そうに視線を逸らしながら呟いた。
「……そのパーティーに出れば特に問題はないんですよね」
「ええ、そうよ。誰かと踊るのが嫌ならベランダにでも非難して居れば良いわ。そのかわり一人で帰っちゃダメよ。夜は色々危ないから」
「はぁ……」
「じゃ、行きましょうか。王国へ」
「わかりました」
こうして赴くことになった王国のパーティー。それはリオーフェが予想していたものよりずっと凄い物だった。
馬車に乗って現れた二人を迎えたのは凄まじい数の王国の兵士たち。二人の姿を確認すると、一斉に恭しく頭を下げた。その中、慣れた様子でエカテリーナは階段を上り始めた。その後に従うリオーフェ。実に歩きにくいドレスだと思うが、ドレスなんてみんなそんな物だったと思い直すことにした。
ここではおしとやかなお嬢様を演じなければならないのだ。躓かないようにゆっくりと階段を上る。階段を数歩上ったところでリオーフェはふと足を止めた。恭しく頭を下げている兵士の中でふいに見た事がある者がいたのだ。思い過ごしかと思ったがそれはすぐに違うとわかった。
彼には昔、会ったことがあるのだ。
だがそれを悟らせないようにリオーフェは再び歩きだした。もう彼とは違う道を歩んできているのだ。幾ら知っているとしてもそれは赤の他人でしかない。瞳を閉じればすぐにでも思い出せる過去の遠い、遠い思い出。だが、それはリオーフェにとって悲惨なものでしかなく、既に自分はそれを捨てたのだ。
自らの名前と共に。
捨てた名前の重みはリオーフェ自身がよくわかっていた。名前を捨てたということはその人間はこの世から抹消されたということになる。自分は一度死んだ人間なのだから今更何も言うわけには行かないのだ。
(これだから外の世界にはなるべく出たくないのに)
ため息混じりに、でもチラリと視線を送ればおもむろにその兵士が視線を上げたのがわかった。咄嗟に視線を逸らし、足早に階段を駆け上がるがもしかしたらばれたかもしれない。ドクドクと焦る心臓を押さえつけながらリオーフェは落ち着くように何度も深い呼吸を繰り返す。この宴が終われば無事に帰れるのだ。それまでの辛抱と思いながら再び階段を踏みつけたのであった。
今も君は思い出に噎び泣く
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