一人の魔女が居た。まだ十五歳になったばかりの魔女だ。だが、魔女と言われるだけで彼女は魔女ではなかった。しわくちゃな年寄りの魔女みたいに意地悪そうな顔をしているわけでもなく、マントも羽織っていない。箒に跨って空を自由に舞い上がることもできない。

 彼女は正真正銘ただの人間だった。
 
 いや、ただの人間だからこそ今、彼女はこの地に平然と立っていられるのだ。
 この大地に春というものはやって来ない。毎日が冬に入る一歩前の木枯らしのような風が吹く世界だ。そんな辺地で何故彼女みたいな普通の子どもが何故生きられていられるのかというと、それには色々な理由があった。
 その一つに上げられるのがこの地、『魔女の森』が関係しているのだろう。この森はその名の通り魔女(異端者)が王国から毎日のように送り込まれてくる。そしてこの中に入ったら最後、外に出ることは永久に無理とも言われていた。最もそんなもの迷信でしかない。だが、それでも外からやって来る者たちは一ヶ月も保たずに死んで逝ってしまった。
 きっとこの環境に慣れるまもなくその微かな命の灯火を消していってしまったに違いない。
 自分は恵まれている方なのだ。住食衣に困ることはけしてないのだから。
 リオーフェは静かに瞳を細めると壁に掛けてあるカレンダーを見た。日にちからすればそろそろ彼女がやって来ても可笑しくない時期だ。普段は一つしか用意しないコップを、今日は二つ用意する。無論客人用の綺麗なコップだ。お湯も沸かし、お菓子用のクッキーがちょうど焼き上がった頃、その客人はやって来た。
 大きなローブに体を包み、うっすらと微笑みながら入ってきたのは一人の女性だった。真っ赤なウェーブ髪を払い除け、あらかじめ用意されてあった場所に座り込む。蒼い瞳がゆっくりと細められたと同時に、嬉しそうな声が部屋の中に響き渡った。
「おめでとう、72代目の白き魔女さん」
「ありがとうございます。エカテリーナ様」
 恭しくリオーフェは頭を下げる。
「それと先日のことはお悔やみ申し上げるわ」
「……」
 その言葉はリオーフェにとって複雑な心境だったに違いない。確かに自分は72代目の白き魔女になった。それは名誉ある事だし、ここに長年住んでいた自分もその地位と名前がどれだけ凄い物なのかも十分知っている。だが、それは同時に今まで一緒に住んでいた老婆が死んだことも意味するのだ。
 その事を察してか、エカテリーナはそれ以上の誉め言葉はいわなかった。そのかわり机の上にある紅茶を一啜りすると静かに告げた。
「時にリオーフェ、貴女は今年で十五歳になったばかりよね」
「はい」
「その誕生パーティーを兼ねて私と共に王国のパーティーに出てもらいたいのですが宜しいかしら?白き魔女としてではなく、リオーフェ。貴女一個人として、というお話なのだけど」
 焼き上がったクッキーとマーフィンの甘い香りが部屋中に広がるのを感じた。
 まるで自分にはあまりにも遠く、かけ離れたことのお話に一瞬思考が停止してしまったリオーフェ。だが、無表情に近かった表情を顰めると、怪訝そうに聞き返す。
「エカテリーナ様、本気でおっしゃっていらっしゃるのですか?」
「ええ、ええ。私はいつでも本気よ、リオーフェ。貴女も少しは外の世界に触れてみてはいかが?何か新しい発見があるかもしれないわよ?」
 それは遠い存在の言葉にしか聞こえなかった。
「貴女が王国の人間を嫌っているのはわかっています。貴女の国を滅ぼしたのも王国ですものね」
「エカテリーナ様……」
 まるで咎めるようなリオーフェの声にエカテリーナは綺麗な眉を顰めると、肩を竦めた。まるで冗談だといわんばかりの態度にため息が自然とこぼれ落ちる。
 この人の言葉はどこからどこまでが本気なのかよくわからなかった。
 まるで雲の上のような存在に掛けられた言葉にいつもどおりの無表情を象った。本当は焦りに焦っていたのだが、そんなことを言えるはずもなく、口を閉ざす。あくまでもこの方は自分より遙かに上の身分の方なのだ。
 それにこの人を人間か魔女のどちらかに分類するのであれば、彼女は絶対魔女の部類だろう。いや、魔女なのだ。この世界には異端者が必ず存在する。その異端者に分類されるのが彼女だ。もっとも異端者といっても普通の異端者などではない。正真正銘の魔女と言えるお方なのだ。
 別に空を飛ぶ姿を見たわけでもないし、怪しい呪文を使っている姿を見たわけでもない。ただ、彼女に喧嘩を吹っ掛けた者は一週間以内に必ず死、又はそれに準ずる事が身の回りで起きるというのだ。別に本人がやったという証拠があるわけでもないのだし、本当のことは誰も知らない。
 だが、本人に聞けばきっと笑顔ではぐらかされるのが落ちだろう。あくまでも肯定もしなければ否定もしない。
 それがリオーフェの知る最強最悪とあだ名される魔女、エカテリーナだった。

最強の魔女は優雅に微笑む。


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