真っ白な煙が清々しいほどに澄み切った空に舞い上がっては消えていく。その煙を見上げながらリオーフェは白いマフラーに顔を埋めた。さすがに冬という事もあり外の空気は氷のように冷たく、小さな体を震えさせた。白い頬は微かに赤く染まり、大きくパッチリ開いたアメジストの瞳はひたすら空に昇っていく煙を見つめていた。
これで彼女はまた一人ぼっちになってしまった。
一緒に住んでいた老婆の骨と皮だらけの様な体は窯の中に渦巻く紅蓮の炎にあっと言う間に飲み込まれていった。あとは老婆が骨と灰だけになるのをリオーフェは今にも倒れそうな細い体を抱きしめながら待っているだけだ。
誰だろう。人の死は美しいといったのは……そんなことがあるはずも無く、実際虚しく悲しいものだ。それもただ悲しいだけじゃない。胸が、痛くて苦しい。それでもリオーフェの大きな瞳から涙が零れ落ちる事は無かった。悲しくて、辛くて……でも泣けない。泣いてはいけないのだ。それが無くなった老婆の最後の言葉だったからだ。
完全に火の気が消えた窯の中からリオーフェは灰の中から骨をあさる。硬く、それでいて細く角張った骨を長いお箸で掴みながら小さく息を吐く。白い吐息は周りの空気に交わること無く清々しい青空に消えていった。
(……一人ぼっち、か……)
本当に自分は一人ぼっちになってしまった。身に纏っているボロボロの服も、老婆に貰ったマフラーももはや彼女には意味をなさない物になっていた。
重たく、苦しい雰囲気の中、リオーフェは立ち上がった。
手には大事そうに骨壷が抱きしめられている。それは少女が72代目の白き魔女になった瞬間でもあった。
そもそも魔女と言うのはこの世に本当に存在するわけでは無い。だから人は作りだすのだ。そういった魔女と言う『異端者』を。他の人とちょっと違っていたり、変わっていたりするだけでその人は魔女とされてしまう。それが今のご時世ともとも言えるだろう。
そしてこの森には代々、魔女と呼ばれる異端者が送り込まれる。リオーフェもそうだった。
ただ、彼女の場合、他の人とは違い自分の意思でこの森にやって来たと言うことだ。いや、迷子になってこの森に入ってしまったと言うべきか。とにかく彼女は自らこの森に入ってきたのだ。
リオーフェは名も無き小さな国の王女だった。だが、この辺りを一帯支配している王国が同盟国でもある我が国を裏切り襲ってきたのだ。無論自分以外の者は全て殺されてしまった。母親も、父親も、お兄さまも、兵士たちも、みんな死んで逝った。みんな自分を守ろうと必死に戦ってくれた。でも彼らは死んで、自分はのうのうと生きている。この世に生を受け、生きているのだ。だからその境にリオーフェは自分の名を捨てた。この世界には自分の名など必要ないからだ。このリオーフェと言う名だって名前がないと呼びにくいからと先代の魔女を勤めていた老婆が付けてくれたのだ。
長い間、呼ばれていなかった名前は本人でさえ忘れてしまうほどあやふやになっていた。時の流れと、忘れ去りたい記憶が彼女の名をそこまで追いやってしまったのだろう。
(でも忘れない)
この名をくれた老婆のことは死ぬまで忘れてはなら無いのだ。本当ならずっと昔に死んでいたかもしれない自分を此処まで育ててくれたのだから。彼女は人に忘れ去られるのを一番恐れていた。人に忘れ去られてしまえば自分の存在があやふやになり、消えてしまうかもしれないからだ。それだけを老婆は恐れていた。だから自分だけは覚えていよう。この歪んだ醜い世界の中で、自分に優しくしてくれた老婆の存在を……
「私がこれからは白き魔女なんだから」
そう呟いた声は静かな冬の空に消えていった。
そもそも魔女と言うのはすることがない。毎日する事と言えば家の掃除、洗濯、暇があれば薬草を採取し薬を作ることだろうか。そして時間があれば日々の日記を書くことぐらいだ。リオーフェは棚を整理しながら古びた一冊の日記を取り出すと眺めた。中身を見れば汚らしい字で何かをビッチリ書き込まれている。だが、その字は昔から見慣れた老婆の毛筆だった。彼女は既にこの世を離れ、空に消えてしまった。この世にいないのに彼女がいた痕跡がまだこの世には残っている。
「寂しいの、かな……」
それは誰に向けて放たれた言葉なのかよく分からなかった。老婆に向けたのか、それとも自分に向けた言葉なのか、それすら分からない。ただ分かるのはリオーフェが悲しんでいるという事ぐらいだ。
自分にはそれぐらいしか出来ない。そう思っていた。
この世に忘れ去られたくないと叫んでいた老婆が最後の時を迎えた。
それは新しい時代が一歩進んだ証拠なのかもしれない。でも、この世界は変わらないだろう。そして人の心も……人は誰かしら差別をしなければ生きていけない存在なのだから。
それが今の自分だと言うだけだ。
アメジストの瞳が意味深に細められ、伏せられる。白い肌に白色の髪がサラリと掛かった。その姿は魔女と言うよりも聖女に近い印象を見る者に与えた。
全てには終わりがある。でもきっと自分はこの悲しみの連鎖を断ち切る瞬間を見る事は出来ないだろう。きっと、自分はこのまま死んで逝くのだ。一人きりで。そう思ったのはまだ十五歳になった少女だった。
前を見据えて生きていきたいから。
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